I don't like the Hippie lifestyle

「ヒッピー」についてネットで検索していると、彼らの活動に関連したタームは、自分にも非常に慣れ親しんだものであったので、少し考えさせられました。


例えば、カトマンズ(ネパール)、ナチュラリズム、(ディープ)エコロジーオルタナティブアンダーグラウンドニューエイジ神秘主義、瞑想、鈴木大拙、ゲオルギイ・グルジエフ、ザ・ビートルズジャニス・ジョップリン、カモメのジョナサン、指輪物語などなど。特に音楽や小説のおかげで、何度も自分の中にある鬱憤が昇華されました。


しかし、念のため断っておくと、自分はヒッピーが持つような信条は理解できたとしても、その生活スタイルは受け入れがたいです。


ヒッピーになるとは、言い換えれば、現代の機械化された文明に影響されて、魂が抑圧されがちな人々が、理性という「仮面」を取り払い、”本性”を露わにする運動のことだと思います。「偽善」の「仮面」を取り払うという、抑圧からの解放が謳われています。しかし、むき出しの野生性、すなわち動物的な意味での人間というのは、どんなものなのでしょうか。そこから出てくるのは、人間の野蛮な部分、暴力性とか支配欲、性欲などの、悪い意味での動物的な欲求なのではないかと思います。


むしろ理性という「仮面」は必要だと考えています。ただし、欲望という心の闇は誰の内にもあるものではないかという直感を持っています。上に挙げたような「心の友達」は必要であると思います。一日にも昼と夜があるように、昼は公の場で理性的に振る舞い、日が暮れれば、私的領域で「夜の哲学」を営むといったように、精神の活動も公私に分ければいいのではないだろうかと考えています。