「25%削減」こそが日本経済を救う / 「選択」11月号

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「選択」の11月号が届きました。


まず気になった記事が「「25%削減」こそが日本経済を救う」でした。
副題は、「「理系出身」総理ならではの発想」とあり、ポジティヴな評価がなされています。


本稿は、「第二の高度成長も夢ではない」と締められています。
日本の現在の技術力を持ってすれば、エネルギー問題の方面から二酸化炭素の削減は可能であると考察されています。


具体的には、電気自動車(EV)、都市ガスからの水素の分離、またその熱を再利用した定置式燃料電池システムや太陽電池風力発電などが挙げられています。


個人レベルの意識改革としても松下幸之助の教訓が取り上げられており、6%削減よりも、25%削減するほうが現実的であろうと述べられています。なぜなら、小手先(ソフト面)の改革よりも抜本的な(ハード面)での変革の方が大きな効果が得られ可能性が高いからです。それは、クールビズ化や小まめに電気スイッチを切ることによっては、目立った効果が得られなかったことからも言われています。


また鳩山公約にもちゃんと予防線が張ってあると指摘されています。すなわち、主要国の参加による意欲的な目標の合意を前提条件として明示しているからです。仮に国際的な合意形成ができなくても、意欲的な目標を掲げたことに実績が残るはずだと言われています。


逆に、主要国が意欲的な高い削減目標を掲げたとしたら、日本企業にとっては大きなビジネスチャンスが訪れることになるはずだと強調されています。なぜなら、日本は生産技術が高くて協力企業の層が厚いからです。また、タイミング的にも、基礎技術で突出している欧米や勢いにある中国企業に追い越される可能性が高かったことも危惧されていましたが、絶好のタイミングであったという意見もあるようです。


所感としては、もはや二酸化炭素排出量というひとつの量的なモノサシが世界基準になったということです。このように、環境問題という複雑な問題をひとつの単位に還元することで、世界的な理解が進みやすいのは事実だと思います。さらには、お金にも換算しやすいでしょう。これを上手に利用することで、本稿で言及されているように、産業の活性化につなげる国や共同体も出てくると思います。


ただ、二酸化炭素の排出量の削減がたとえ地球温暖化の抑制につながると仮定しても、それだけが環境問題の解決策ではないでしょうし、特に日本のように地域個別に対応しないといけないような複雑な文化を持っている国もあると思います。さらには、アメリカのトム・リーガンが「環境ファシズム」として指摘したように、生態系や種の保護といった全体を重視するがゆえに生じる、個々の生命の自由の束縛といった犠牲もありえるのかもしれません。


一方で、「生物多様性議論」については、アジェンダや基準・標準の設定能力でイニシアティブを握ろうとしているEU、他方、経済的価値の観点から遺伝子資源を蓄積させようとしているアメリカに比べて、日本は非常に遅れているという指摘もあります。生物多様性がどう国益に資するのか言及できていないとも言われます。来年10月には名古屋でCOP10があります。