シンポジウム「だれも知らない、ほんとうの生物多様性問題」



日時:2010年7月24日(土)13:10〜17:00
場所:京大会館(京都市左京区
主催:NPO法人 森林再生支援センター


今年2010年は国連生物多様性年ということもあり、「生物多様性」と冠したシンポジウムが数多く開催されています。今回のこのシンポジウムは、少し斜めから「生物多様性」についてみてみようというものです。


生物多様性を受け入れる生き方・考え方
神松幸弘氏(総合地球環境学研究所


・問題提起:生物多様性をはじめいろんな多様性があるなかで、人間の多様性を考えていないんじゃないか。


・「わける」ことと「集める」こと
人間は、生物をはじめばらばらにあるものから共通性を見出し、かつ差違を見分ける能力を持っている。イヌとネコの区別と自動車の区別、あるいは昆虫の標本化とフィギュアのコレクションは行為としては似ている。


・生きもの好きの若者を増やしたい
個人的な思いとして、生きもの好きの若者を増やしたいというものがあり、どうやって好きになってもらうかを模索している。生きものが怖い、憎いという感情の根本には、対象の生物を知らなさ過ぎるという問題がある。


・「超」虫嫌いの女子高生も変わる
多くの環境教育の現場では、野外で生徒が「先生これなーに?」というように生物を同定するやりとりに収束してしまう。これでは、生きものに興味をもったり好きになったりするきっかけにはなりにくい。最悪の場合、その環境が汚い環境だとわかったという答えに落ち着いただけで終わってしまう。
実際に子どもたち(小中学・高校生)を対象に授業を行っている。どんぐりに好きなように名前をつけさせたり、昆虫を樹脂封入させたりしているうちに、生徒の興味関心が大きく転換するのがわかる。
生物名をあてることにこだわるのではなく、自分の感じたままに名前をつけたり、似たものを集めたり、違うものをわけたりすることで、自然や生物の理解が深まるのではないだろうか。この行為は、人間の世界認識の仕方そのものである。


・人間の多様性は生物多様性である
生物多様性の大切さへの理解はだいぶん浸透してきたが、人々の支持は、エネルギー→生態系→文化にいくにしたがって低くなる。一方、人間の価値観、振る舞い、文化もヒトという種に見られる生物の多様性なのだということを認識する必要がある。これらの喪失もまた大きな問題である。
生態系サービス(自然の恩恵)を理解するには、生態学の基礎についての理解が必要になる。生物多様性が増えることは、社会が利用できる生態系サービスの種類を増やすことになる。その反面、生態学は、ネットワークの中の生物の価値に優劣をつけてしまう側面もある。


・ヒト種内の多様性の維持が、生物多様性の維持につながる
自分とは異質なもの、役に立たないものと思うもの、害を及ぼすと思うものを排除する論理は、人間の多様性を著しく失わせる危険がある。さまざまな関係の中に共通性と多様性を見出し、違うことで争うのではなく、受け入れる生き方、考え方が必要ではないだろうか。


食卓から熱帯雨林まで
湯本貴和氏(総合地球環境学研究所


・問題提起:私たちの生活は、生物多様性の上に成り立っている。「自然の恩恵」を与えてくれる身近な自然からわたしたちの暮らしを見直すことが必要ではないか。


生物多様性喪失への関心はきわめて低調
2010年は、国連が提唱する国際生物多様性年である。10月には名古屋でCOP10が開催される。地球環境問題のなかで、地球温暖化問題と生物多様性喪失問題は2大テーマである。しかし、地球温暖化に比べて、生物多様性喪失については、市民の関心はきわめて低調である。


・「見かけの生物多様性問題」と「真の生物多様性問題」
人間も生態系ネットワークで生活している。「見かけの生物多様性問題」とは、希少生物の絶滅ないしは危惧といった直接私たちの生活に影響がなさそうな問題、一方、「真の生物多様性問題」とは、私たちの身近な自然で生じている問題のこと。


・身近な自然は二流の自然なのか
日本でも屋久島や知床のような原生的な自然が、特権的な価値をもつものとして語られてきた。その一方でわたしたちの身近な自然については二流の自然というイメージを持たれがちである。


・身近な自然こそが、「自然の恵み」を与えてくれる
しかし、身近な自然こそが、さまざまな「自然の恵み」を与えてくれる「本当の自然」ではないだろうか。文化多様性の源泉は、そこに生息する動植物を含めた地域の風土である。「本当の自然」からわたしたちの暮らしを見直すことがいま必要とされている。


地域性種苗を用いる必要性をブナで考えた
小山泰彦氏(長野県林業総合センター)


問題提起:近年、地域の森林再生を謳った広葉樹の植栽が増えているが、産地が不明な種苗を移動させることは、よくないんじゃないか。


近年、地域の森林再生を謳って、広葉樹を植栽する事例が増えている。樹種は郷土種と呼ばれるものが選ばれているが、種子がどこ産であるかは考慮されていない。


スギ・ヒノキなどの人工造林は、県内の苗木の移動が法律で制限されているが、広葉樹には制限がない。地域性を考慮しない植栽は、環境適応の観点から、その後の生長具合が懸念される。


長野県のブナの天然林は、北部の日本海側と中南部の太平洋側で植生区分が異なっている。DNA解析による地理的変異の調査の結果、北部には日本海側の系統が、中南部では太平洋側の系統が生息していることがわかった。


長野県下20箇所の人工林に植えられていたブナはすべて日本海側の系統である。つまり中南部では、天然分布しているブナと植栽されたブナは異なる系統であることが判明した。


さらに中南部と北部において植栽された日本海側系統のブナの生育状況を調査した結果、太平洋側では「先枯れ現象」という生長の不具合が観察された。


一方、宮城県では太平洋起源の苗木を日本海側へ植栽した事例があり、ここでも、生長の不具合が観察され、雪圧による影響と考えられている。


以上の結果より、ブナは太平洋側と日本海側で種苗を移動させると、生育に不具合が生じる場合があり、地域を越えた苗木の移動は避けるべきだと考えられる。


円卓会議の様子