動物園にできること−種の方舟のゆくえ− / 川端裕人 (2006年)

動物園にできること (文春文庫)


★目次
序章 走りまわる子供たち
1.アトランタの荒ぶるゴリラ
2.風景に浸し込め
3.イッツ・ア・ジャングルワールド
4.動物たちの豊かな暮らし
5.幸せなクマさんを探して
6.ゾウ使いの言い分
7.方舟の乗客たち―種の保存計画をめぐって
8.カリフォルニアコンドルは野生復帰の夢を見るか?
9.ハイテク・カウボーイたち
10.動物園を出よう!森へ行こう
11.ライオンから学ぶこと
12.小さな町の動物園
13.ブロンクス裁判
終章 ぼくらの動物園
文庫版のための新章 「それから」のぼくらの動物園


★著者の川端裕人氏の中には「動物園を正当化できるか」という問題意識があります。それは、自身が動物園の体験をもとに生き物に興味を持つようになったという自覚があるからです。


動物園先進国アメリカでさまざまな動物園の取材を行った結果、アメリカでの動物園を外側から批判的に見ている、アニマルライツの活動家とディープ・エコロジー系の環境活動家と意見交換を行います。


アニマルライツとは、基本的にはすべての動物実験を否定し、農場動物も認めない立場です。ほとんどがベジタリアンです。動物園も否定すべき場所と考えています。 しかし、現実的には、すべてのアニマルライツの団体が、反動物園キャンペーンをしているわけではなく、当時のアメリカでは、PeTAというラディカルな団体のみだけでした。


そこで著者は、PeTAのスポークスマンとブロンクス動物園を歩き、評価を聞きます。結果、そのスポークスマンは、非常に憂鬱な気分になります。もし可能なら、展示施設としての動物園は閉鎖し、野生復帰できるものは、復帰させるか、それができないなら飼育し続けるしかないと答えます。


PeTAのスポークスマンのこの意見は、カナダの動物園が住民投票の結果閉鎖された事例を前提にしており、そこでは不適切な施設とケアにより、動物が異常行動をしていました。


一方、環境保護の中には、生命中心主義の考えを持つディープ・エコロジーという思想・運動があります。しかし、ディープ・エコロジー系の団体は、完全には動物園を否定はせず、むしろ「複雑な感情」を抱いていることが記されています。


ディープ・エコロジー系のある活動家は、「動物園は環境保護に役に立つと考えられるが、そのためは、絶滅に瀕しているような野生動物にスポットをあてて、生態系保護の立場を明確にし、評議員にも、政治家ではなく、科学者や保護活動家を据えるべきだ」と述べています。


今度は、川端裕人氏は、ディープ・エコロジー系の活動家とブロンクス動物園を歩き、評価を聞きます。この活動家は、動物好きになったきっかけは動物園にもあるけれども、動物園が問題提起はするが、解決策を示さないことには不満を感じている様子です。


ディープ・エコロジー系のある活動家は、もし動物園を任されたなら、「環境への影響の少ない素材に変える。遠隔地の動物の展示よりも、地域の動物の展示を充実させる。一番大切なのは、人間が生活スタイルをみつめなおすきっかけを与えるようなメッセージを発するようにする」と答えました。


奇しくも、アニマルライツのスポークスマンもディープエコロジーの活動家も「問題提起するだけで、原因を特定したり何をすべきなのかを指摘しない」という感想を述べます。


動物園は、環境教育の場でありながら、現在の社会の変えることには無関心であり、種の保存にための活動は対処療法はやるが、市民は自らの生活スタイルが犠牲になることを避けようとする。


これはスポンサーに問題があるという見方もできます。生活に余裕がある人は、グリーン・ウォッシュとして、環境保護へ寄付を行いますが、そのライフスタイルは変えようとはしません。


ただ、著者は少しの希望を見出しています。それは、ディープ・エコロジー系の活動家のような、「生き物好き」の人格形成にかかわることもできるという側面です。生態系のために闘う戦士を救うかもしれません。


著者は、本書の最後の方で、動物園は多義的な場所であり、価値観がせめぎあっており、唯一の答えはないのかもしれないと書いています。


しかし、都市生活者である多くの人々と野生動物の絆を形成することは、一つの機能であると考えています。子どもにとっては最初は「ペット感覚」で「かわいい」から入ることも、共感を形作るのには必要であるとしています。


結局、そこから先の課題を、動物園人、個々人がキャリアの上の中で工夫しつつ、悩みつつ、乗り越えていくべきなのだと締めくくっています。