Study:  ハリフェス:官兵衛神社〜廣峰神社

ハリフェスのサイトに、官兵衛神社を追加しました。廣峰山へハイキングに行き、廣峰神社、官兵衛神社を参拝しました。2回目の参拝です。疫病退散の祈願の意味もありました。

官兵衛神社ですが、2019年11月に建立された社です。廣峰神社のすぐ西隣に鎮座しています。黒田官兵衛(孝高)は、キリシタンであったため、神社の本殿内には十字架が記されていたり、キリスト教の教会からの奉納もなされています。当時、織田信長は南蛮文化に関心があったためキリスト教を庇護し、キリスト教徒も増えていきました。キリスト教は大友氏の庇護もあり、九州で広がりを見せていました。黒田孝高(官兵衛)は、キリシタン大名であった摂津高槻城主高山右近のすすめにより教会に通い始めて、洗礼を受けました。その際に受けた洗礼名は「ドン・シメオン」と言われます。

元々、廣峰神社の由緒は、明治の神仏分離令以前の祭神は牛頭天王(ごずてんのう)であり、かつては本殿内に薬師如来本地仏として祀っていたとされます。現在では、社殿裏北東の少し山道を歩いたところに、薬師堂がひっそりと佇んでいます。牛頭天王は、京都の祇園祭を執り行う八坂神社、かつての「祇園社」の祭神でした。

牛頭天王というのは、日本神話の男神スサノオと同一視される神様です。蘇民将来説話では、武塔神とも呼ばれます。

牛頭天王の名は、「法華経」「華厳経」などのいくつかの経文に記される「牛頭栴檀(ごずせんだん/ゴーシールシャ・チャンダナ gośīrşa candana)」です。境内には、スサノオ牛頭天王)と関係の深い、蘇民将来の社もあります。牛頭天王蘇民将来については説話が残っています。

武塔神(=須佐雄神(すさのおのかみ))が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯(あわめし)などを御馳走(ごちそう)になった。そこでそのお礼にと、「蘇民将来之(の)子孫」といって茅(ち)の輪(わ)を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げた。日本大百科全書

端的に言いますと、

牛頭天王(ごずてんのう)=武塔神スサノオ です。

旅の途中で宿を乞うた武塔神を、粗末ながらもてなし、助けたのが蘇民将来です。助けてもらったお礼に、スサノオとして正体を表した武塔神は、蘇民将来に、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると告げました。

神社でよく見られる大きな輪っかは、「茅の輪」と呼ばれ、スサノオ蘇民将来に由来するものです。

秘伝的な解釈では、武塔神(=牛頭天王)が、牛頭人躯の面妖な姿をしていることから、旧約聖書の英雄モーゼと重ねる説もあるようです。モーゼには角が生えていたとか、いなかったとか。ミケランジェロの彫刻のモーゼは、角にも見えるようなものが2本頭に生えています。どういうわけか、古い時代の神のイメージは、しばしば角の生えた牛や羊(またはレイヨウ、ヤギ、シカ)の姿で表現されることがあります。

どうして角の生えた神のイメージが描かれたのでしょう。現在では、角(ツノ)といえば、鬼、悪魔のイメージが強く、hornyというと、英語では「色気付いた」という意味でもあります。ネガティブなイメージです。

それは、モーゼの時代は、天文学では春分点の太陽の位置が「牡羊座」であったことと関係しているようです。

地球の歳差運動により、天の黄道は一年ごとに少しずつずれていき、2万5920年(つまり2万5920回地球が公転して)かけて一周します。春分点の太陽の位置は、現在(1989年以降)では宝瓶宮(水瓶座)に入っているのですが、その前は、双魚宮(魚座)、さらにその前は白羊宮(牡羊座)、そして、人類が原始社会から本格的な文明社会に突入し、メソポタミアやエジプトに花開いた時代の春分点金牛宮(牡牛座)でした。

古代文明では春分点(開始点)であった牡牛が、信仰され、神聖視されていました。その影響で、神のイメージは、牡牛をモチーフにしていたとも考えられます。モーゼの時代は、牡羊座の時代で、羊にも角はあり、角は神聖視されていましたが、形状は、レイヨウのようなまっすぐの角で表されたのかもしれません。(牡羊の角は、螺旋状に巻いているイメージですが。)次の魚座春分点の時代(B.C.170年ごろ~)に入るとキリスト教が発生し、世界宗教へと成長していきます。そうした中で、古い時代の神々の姿(牡牛や牡羊)は、悪魔、または鬼のかたちと重なり、排斥され、恐怖の対象へと変化していったのかもしれません。現在は、水瓶座春分点の時代です。次は、ずっと先ですが、1989年から2160年後は山羊座の時代です(ミケランジェロのモーセ参考)

一方で、芸術家が、モーゼに角をつけて描いた理由として、ヘブライ語ラテン語に翻訳する際の誤訳を元にしているというものです。ヴルガタ訳(『出エジプト記』 34:29-30, 35)では、ヘブライ語の「ケレン」を、「角」と解釈し、ラテン語に翻訳の際のそのまま「角」と直訳したと言われています。

他にも、上記の角の動物神聖視説と直訳説の折衷案もあるようです。

「光り輝いている」と訳したヘブライ語は「カーラン」という動詞で、用例が「角のある」という意味であることは確かです。動詞の「カーラン」は、「ケレン」という名詞の派生語であり、名詞としては「角」であることを踏まえた上で、牛との関連で使われている詩篇の動詞形の意味も「角のある」と解釈できることから誤訳ではないと考えられます。ただ、「顔の皮膚」から角が生えるというのは、普通の状態ではなく、それこそ面妖です。ただし、牛や山羊や羊などの角は「豊穣=富と子孫繁栄の象徴」であり、太古より、ユーラシア大陸の各地に、豊穣神たる「角を生やした(主に牛の)神」への信仰があり、儀式の際に角の被り物をするなど、カーランを「角のある」と解釈することは、むしろ正統な発想であるとも言えます。異形なる角は、超越的な存在であることを示す、表現方法とも言えます。(モーセの角

ちなみに、モーゼに角をつけて表現したのは、ミケランジェロだけでなく、リトアニアビリニュス大聖堂のモーセや、オランダの画家、レンブラントも角をつけています。シャガールは、確か、角のようにも見える、光線のようにも見える王冠のようなものを描いています。

 

 

 
 
 
 
 
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