Books: 呪いのデュマ倶楽部 / アルトゥーロ・ペレス・レベルテ, 大熊榮訳(1993)

 

ジョニー・デップ主演の映画「ナインスゲート」が面白かったので、原作の日本語訳を古本で購入しました。こういう欧州の宗教に関わるようなサスペンス・ミステリー系の手に取ると、すぐに「ダヴィンチ・コード(2003年)」と比較してしまいます。内容はダヴィンチ・コードより面白いのに、どうして有名にならなかったのか?という疑問が残ります。ダヴィンチ・コードが神学的知見から、ずいぶんと勝手な物語を作ってしまったことの罪悪を考えると、初めから、「悪魔の〜」と言ってしまった方が、潔いと思います。文献学、古典の研究という意味では、本書の著者の方がより綿密に調査しているような印象は受けます。ただし、作中で創造された引用元の古書もいくつかあるようですが。

本書の主人公ルーカス・コルソは、悪名高い書籍ハンターです。結構、ヤクザな仕事をしており、様々な人から恨みを買っています。巧みな話術で価値のある古書(稀覯本)を安く買い取って、オークションでそれなりの値段をつけて売るのですから。そんなコルソが、古書の真贋を探るために命懸けの欧州の旅に出ることになります。命をかけて真贋を突き止めようというつもりで旅に出たわけではなく、知らぬ間に、闇の組織から命を狙われる羽目になってしまったのです。結論を先に述べるなら、この旅が彼の成長の道であったわけで、物語の初めでは文学青年(中年?)ぽいひ弱な彼が、試練を乗り越える旅に、強くなっていくというストーリーです。

最終的には、彼は、「それぞれみんな自分に見合った悪魔に取り憑かれるものだ」と自分に言い聞かせます。映画では、自分が選ばれた人物であることを自覚するというエンディングではあるのですが。その意味では、「ダヴィンチ・コード」にも通じるところはあり、「信じるか信じないかは自分次第」という教訓のようなメッセージを読者は受け取ることも可能です。「ダヴィンチ・コード」では、カルト組織の狂信的な苦行者も出てきて、怖くなるのですが、本書では、バロ・ボルハ、リアナ・タイリェフェルあたりの人物がそれに相当するでしょうか。

ただ、本書主人公の特別なところは、信心深くないというところです。それが幸いして、いや、コルソはハンター(収集家)らしく、関係者との会話も記憶しており、それが知見となり、突っ走ることはなかったとも言えます。バロ・ボルハが、書籍のみの情報に頼ったが故に、思い込みにより真贋を見極め損なったことと、コルソのどこか不埒なスタイルが功を奏したことは、何かこの物語のメッセージであるかもしれません。肉体派のシャーロック・ホームズと、ライバルのアイリーン・アドラーがコンビを組んだら、こういう物語になるのかもしれません。