自己批判〜茂木さんの講義・講演

内定者会への行き帰りの電車の中で茂木さんの講義や講演のmp3を聴きました.退屈な地下鉄が一瞬に感じられました.聴いた講義:
2006年6月5日 無限に向き合うためのレッスン(自己批評文演習)(2006年度 美術解剖学 Lecture 6)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/06/post_e523.html
6月6日のブログに講義の内容(感想)が書かれています→http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/06/post_024f.html


2006年5月14日 ひらめき脳講演会 2006.5.14. 紀伊国屋ホール
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/05/post_305f.html


2006年6月28日『脳と人間』昭和女子大学 人見記念講堂
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/06/post_7bf3.html
茂木さんの著作や講義・授業を聴くと,なんか心の底からじわっと力が沸き起こってきます.楽しいです.以下は,自分の勝手な感想です.決して講演の概要ではないので注意してください.
自分は,モノと文脈と人と多種多様な関係性を持っているが,その中でも,本を読んだり,音楽を聴いたり,美味しいものを食べたり,好きな人から励まされたりと,この感覚いいなぁと思えるものがある.
自分はぼ〜っとすることはあまり好きではない性格かもしれない.しかし,単なる労働や作業を強いられるのは苦痛の何者でもないし,それに耐えうる精神も体力も人と比べて少ないと感じることが多い.しかし,誰だってそうなんじゃないかと最近思います.苦痛を苦痛として受け入れながら生きていく必要があるのか,いや,もっというならそういう人はいるのだろうか.
”働くことは苦痛だ,忍耐力が大切だ”と教訓のようにとなえる人がいる.ある意味ではそうなんだろうと思う.しかし,その人の本音はそれだけだろうか.本当に苦痛だけなら生きていけないだろうと思う.自分の仕事にまったく”やりがい”がないのだろうか.”やりがい”の部分を語ることを忘れていないだろうか.
人は絶望や無限を目の前にしたときに,どうなるかという茂木さんの問いには色々と考えさせられました.これは,ニーチェ的なルサンチマンとはまた違うのだろうか.個人的には同じものを感じました.そういった場合,人間は自分の立場(意識)を転換(改革)する能力を秘めているのじゃないかと.しかも,自分なりの仕方で,自分なりの形として昇華させられる能力があるんじゃないかと.それが,芸術と呼ばれるものなんじゃないかと.ニーチェ的には,それの最大規模のものがキリスト教だったんでしょうけど.
それから,自分の欠点を知ることの大切さも改めて感じました.自分の欠点は,自分が一番知っているはずです.文豪夏目漱石を自己批評精神を核に,自分のコンプレックスを克服した人,マイナスを転換させられた人は,大成する人が多いと言われています.そしてそこには強烈な欲望があると.
セレンディピティ(出会い)に必要な要素がある.それは,気づき,空白,勇気だと言われます.その中で一番難しいのは,勇気だと言われます.自分を変える勇気.例えば,異性と付き合うということは,他者を受け入れることであり,自分が変ることであると.
改めて思います.茂木さんて本当に健康的で前向きな人だなぁと.そして強烈な好奇心を持っている.ただ,他者の文脈に対する批判も厳しい部分がありますが,それにはそれなりの理由があるので,それを聞くのが面白いです.