茂木健一郎さん著の「脳のなかの文学」に、「愛することで、弱さが顕れるとしても」という章があります。茂木さんの敬愛する、小林秀雄、リヒャルト・ワーグナーについて論じた章です。
愛している対象は、自分の夢の在処や発展の可能性を指していると同時に、欠点をも示している。
私は、冒頭のこの命題にノックアウトされました。確かに、その作品を愛することが、自らの弱さを示すことであることまでは、なかなか気づきにくいからです。批評の前では愛は無力であり、ゆえに一旦は深く傷つけられます。
何においても言質をとられず、対象との距離を置いて処世していれば、尻尾をつかまれずに済むのかもしれない。一時期のポストモダンとやらにはそんな傾向がなかったか。しかし、そんな生き方に何の甲斐があろう。何にも傾倒していない精神は、宇宙の万物に対して対称的である。何かを愛し始めた時、万物に対する認知的距離の対等は消滅し、魂の姿勢はよろよろと傾く。その時、その姿勢に固有の弱さも露わになるが、そうすることなしに人は何を愛することも、創造することもできない。