Birds of a feather flock together

自身の生活費の削減のために会社での昼食は自作弁当という習慣を昨年1年間は保守してきました。しかしながら、色々と忙しくてこの3ヶ月でその習慣が破綻してしまいました。その代わりとはいえませんが、近くにとても美味しくて安い弁当を作っているお店を見つけました。「食」にある程度こだわりがあり、料理を作ったことがある人ならきっとわかってもらえると思いますが、この量と質で500円はありえません。あいにく写真は撮っていませんが、過大評価ではありません。京都風に言えば「おばんざい」です。旬の魚や野菜がたくさん使われています。食材の一部は親しい農家の人からわけてもらっているそうです。普段はこのお店は居酒屋として夕方から営業をしており、昼の弁当は小遣い稼ぎのためやっている部分もあるのかもしれません。不景気ですから、どの業種も大変だということがわかります。
この店の女将さんと話す機会があって、色々聞いてみました。そうすると、実際のところ「弁当に関してはほとんど儲けがない」らしいです。「安く作ろうと思えば、300円でも200円でも作れる。若者のなかにはこういう食材でこういう味付けが嫌いな人も結構多いと思う。しかし、必ずしも価格の高い食事が身体にとって良いというわけではなく、価格が安くても、美味しくて身体にいい食事をちゃんと覚えた人は、自然にそういう食を望むようになる。基本的な考えとして、腹持ちがよくて、バランスのとれた食事をして仕事をがんばってもらえたらと思って作っている」とおっしゃっていました。ぼくはこの心意気に感動しました。そして、自分で弁当を作ることがさらに億劫になりました。
おそらくこういう食事は、田舎の農家あるいは一昔前の日本人であれば当たり前に食べているものばかりなんだと思います。自分の畑で採れた野菜や知り合いの魚屋さんから買った魚介類を使うというのは、日常的な行為でしょう。普段の食事というものを「ハレ」と「ケ」のどちらとして捉えるのか。この食事をみていると、「日常」というものの大切さを考えさせられます。