Study: Learning From Bruce Springsteen's Great Left Turn. New York Times. Intl. Weekly. June 11, 2023.

音楽を純化しすぎると、元々あった不完全さが失われ、人々はつながりを失う。

・60年代に活躍したビーチ・ボーイズの一曲「Wild Honey」でのカール・ウィルソンのパフォーマンスは、典型的なのリード・ヴォーカルではない。紛れもない音程の不完全さがある。しかし、有名なヴォーカル・グループであるビーチ・ボーイズは、その演奏を聴かせた。

・かつてのロックは、生々しく、お行儀が良すぎないものであったが、その欠点が、当時の若者リスナーの中には、そういう一面に自分自身を重ね合わせていた者も少なくないだろう。

・1980年代のMTVの影響で、「音を聴くこと」から「音を見ること」への転換が起こり、最近のデジタル時代のリスナーは、よりインパクトのある視覚的効果を求めるようになった。その結果、耳だけでなく目も使って「音」を修正できるようになった。

・より完璧に近いものを実現する能力、つまり顔のシミを編集したり、何百枚もの画像から1枚を選んだりする能力が広く利用できるようになると、ほとんどの人は修正を選択する。それはフォトショップの世界であり、私たちは何も考えずにその世界に飛び込んだだけなのだ。音や見た目を良くしたいと思わない人はいないだろう。

・音楽が純化されすぎると、リスナーは自分の不完全さと音楽の中の不完全さを結びつける機会を失う。音楽の中に自分の姿を聴き取る機会も、聴き手を音楽に結びつける糸をたどる機会も減ってしまう。ソーシャル・メディアで目にする汲み上げられた現実が、自分自身のフィルターにかけられない人間らしさを感じている人々を、距離を置き、孤立させるとき、その影響は同じである。

ビートルズのデビュー曲やスティーヴィー・ワンダーの『Innervisions』を、ここで述べたような方法で直してしまうとどうだろうか。当時の雰囲気、意味、エネルギー、不均等なペースや息づかいを変えてしまうだろう。曲の感情によってドラムがスピードアップすることもあれば、歌手のピッチが漂うこともある。もし私たちがそれを "正しく "作っていたとしたら、テクノロジーが今、私たちに可能にしているように、音楽は私たちが生きている場所からさらに遠ざかっていただろう。

ブルース・スプリングスティーンの6枚目のアルバム『Nebraska』。スプリングスティーンの前作『ザ・リバー』は、彼にとって初のNo.1アルバムだった。スプリングスティーンはスーパースターの仲間入りを果たそうとしていた。にもかかわらず、何を思ったか、次作は、彼は商業ロック局で流すにはあまりに荒削りな録音を発表した。

・多くのアーティストが『ネブラスカ』を振り返るのは、大物ソングライターでありパフォーマーであり、その頂点にいた彼が、歌で語るべき物語を持っていたとき、その物語を伝えるレコーディングを修正しようとしたときに苦しんだサウンドがどのようなものだったかを思い出すためである。

スプリングスティーンは「改良を重ねるたびに、個性が失割れる」と語った。彼らの弱さ、人間らしさ、葛藤や悩み: レコーディングを純化(編集、修正、補正)してしまうと、スプリングスティーン氏が聴かせたかったようには聴こえないことに彼は気がついていたのだ。だから彼は、欠陥のあるままアルバムをリリースした。安物のカセットテープに録音され、故障したラジカセでミックスされた。

・当時、ティーンエイジャーだったリスナーは、『ネブラスカ』がいくつかのことを教えてくれているような気がしていたが、そのうちのひとつが特に心に残った。「君ならできる」というメッセージだった。スティーリー・ダンのレコーディングには同じ効果はなかった。TOTOの "Rosanna "や "Chariots of Fire "のサウンドトラックにもなかった。「ネブラスカ』はダーティーで、部分的につぶやくような感じで、静かなトーンに悲鳴のようなものが混じっていた。しかし、生きている世界にとても近いものを感じさせる。その録音に耳を傾け、決して取り残されたとは感じなかった。そういう芸術が必要な時がある。今の時代だからこそ、そういう音楽も必要だと思う。