野生のしらべ / エレーヌ・グリモー (2004)

野生のしらべ
演奏家が曲を奏でるという行為は、まさに魂と魂が触れ合うような想いがこめられて演奏されるものなのだと強く感じさせられたのが、エレーヌ・グリモーによるブラームスのピアノ・ソナタブラームス:後期ピアノ小品集リフレクション)でした。
本書は、オオカミの保護の話だけではなく、エレーヌ・グリモーのピアノや音楽への想いもたくさん語られています。エレーヌ・グリモーはフランス出身であるものの、フランスの伝統的なレパートリーには取り組んでいません。ラフマニノフや、ベートーヴェンシューマンブラームスラヴェルのピアノ協奏曲のほか、リヒャルト・シュトラウスなどが主です。
本書でも、「ショパンよりもブラームスだった」と語られています。

ブラームスの音楽がひとつの音、また次の音と語りつないでいくもの−よけいな一切を意図してそぎ落とし、いちばん大切なものだけに捧げられた人生−をわたしは心の底から愛した。ブラームスの音楽は、この待ち望まれた旅人、つねに同じ旅、つねにもうひとりの旅人の物語ではなくて、いったいなんだろう? 旅人は片道だけの旅に出るために、船の甲板に立ち、太陽に背を向ける。この旅人とはまずブラームス自身、決してあきらめることのない人間だ。その激しい性格、苦悩、怒り、悲痛な思い、そしてその世界との関係を私は愛した。ブラームスはそれを対位法的音楽のなかにきわめて微妙に表現している。その名前は、ドイツ語で豆科の落葉低木「エニシダ」を意味する。乾いた荒れ地のエニシダのように、ヨハネス・ブラームスは激しく荒々しく官能的で情熱的な性格に生まれついていた。

「クラシック」と呼ばれている音楽を体系的に幼い頃から学んでいる人は、僕のような日本人が思っている以上に広く深く「西洋の文化」、すなわち芸術、文学、神話、民族に対しても造詣が深いことも伺い知ることもできます。しかし、このように体系の中に身を置いていることは、ただ”きっかけ”が多いと言えるだけなのかもしれません。エレーヌ・グリモーの生い立ちからは、救われたい一心で、能動的に書物を求めていたように感じさせられます。幼い頃から十代には、繊細で、それゆえに、規則による拘束や他人との交流が苦痛だった著者は、毎晩、ドストエフスキートルストイの小説の中の「親友」と出会い、これらの小説が自分の源泉となっていたと述べられています。

私はドストエフスキーのなかに浸りこみ、しまいにはひとつひとつの言葉が、私の魂のなかで音符となり、それから協奏曲、それかれ交響曲となり、ついに初めて耳にしたとき、私はそれがラフマニノフスクリャービンストラヴィンスキーの名を、あるいはリムスキー=コンサロフ、プロコフェニフ、ショスタコーヴィチの名をもつことを知った。読者の皆さんにも、本を読んでいて、ひとつの文章をまるで個人的なメッセージのように受け取られた経験があるにちがいない。





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