救いとは何か / 森岡正博・山折哲雄 (2012)

救いとは何か (筑摩選書)


★日本は課題先進国とも言われます。医療、エネルギー、雇用、福祉、科学技術、環境、少子高齢化、犯罪、自殺、宗教それぞれの分野や場面で新たな問題に直面しています。このように述べると、日本政府がちゃんと舵取りをすればよいのだと思えなくもないです。


森岡正博氏は、近現代の諸処の問題を「私」の問題として真摯に向かい合ってきた哲学者です。本書は、宗教学者として有名な山折哲雄氏との対談ですので、二人の名前を見ただけで読まずにはおられませんでした。


森岡氏は、「ハーバード白熱教室」の中に欺瞞を見いだしています。それは、あの講義に参加している学生は、みんな自分の手で他人の人生を左右することができる特権的な立場に将来なるような人たちであり、そのことにサンデル教授も気がついていない点を指摘します。「私」が犠牲者になるという選択肢を誰も語っていません。


本書は、序盤は山折氏の発言が多く、後半のなるにつれて森岡氏の発言が多くなります。自分は最終章あたりの森岡氏が何か一つの思想にたどり着いたかのように語る部分に本書の対談の意義を感じました。


この世に私が生まれてことの、究極の根拠などありません。そういう我々にとって何か目指すべき目標があるとすれば、それはこの世に生まれてきたことを肯定することではないのか。生まれてこなければよかったと言い続けるのではなく、こうして生まれてきてしまった以上、どれだけこの世界が汚辱と苦痛に満ちていようと、「生まれてきてよかった」と肯定できるように生きて行く。生きる意味を突き詰めていくと、そこに辿り着くのではないかと私は思っているのです。


人は死んだらどうなるのか。無になるのか、あるいは別の世界へ行ってしまうのか。これについて山折さんは以前、生ゴミになると言っていました。


ならば私はどう答えるのか。以前であれば「分からない」と答えていたのですが、最近になって、生まれ変わりというものがあるのではないかと思うようになりました。でもそれは、人が死んでその魂が何か別のものに生まれ変わるということではありません。そうではなく、生きているうちに少しずつ少しずつ、私はこの世界の何かへと生まれ変わっていく。そして、私の死をもって生まれ変わりは終結する。


ということは、我々もまた、他の人々の生まれ変わりを常に取り入れながら生きているということです。雪がしんしんと降り積もるように、色んな生まれ変わりがこの身に降り注ぐ、と同時に私自身も、色んな人たちに向かって、少しずつ生まれ変わっていく。そして、死の訪れによって、そうした生まれ変わりも終わりを告げる。