金曜ロードショーの細田守の同タイトルのアニメ映画が面白かったので、原作を読みました。原作は昭和50年代に書かれ、アニメ映画は平成です。原作が、時を隔てて、人気アニメ映画として復活しました。
短編と言えるほどにコンパクトにまとまった小説です。まず感じたのは、映画との違いの多さです。主人公の女の子は、原作では大人しいイメージですが、アニメでは活発なイメージです。一方、友人や相談相手は、どこかインテリで真面目な人物として描かれている原作に対して、アニメ映画は世間に対して冷めた感じでやんちゃな人物として描かれています。原作のヒロインの名前は、芳山 和子(よしやま かずこ)ですが、映画では、真琴の叔母で、美術館(東京国立博物館)で絵画の修復をしている設定になっており、ヒロインの相談相手です。もしかして、映画は、原作の続編という設定かもと思わせられました。原作では理科の福島先生が相談相手として、科学的な説明をしてくれるのですが、映画では、教師陣は案外、冷たく、伯母の芳山 和子も、冷めた感じです。この冷めた人間関係は、昭和と平成の違いを反映しているのか、それとも細田守が続編を意図したからなのかはわかりませんが、対照的に描かれていることに、深読みをしてしまいます。
原作では、タイムリープのきっかけとなるラベンダーの香りですが、映画では、くるみのような掌サイズの装置です。場所は理科室であるのは同じです。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は現代になってもSF小説チックな読み方もされるのですが、紅茶に浸った一片のプチット・マドレーヌの味覚から不意に幼少時代のあざやかな記憶が蘇る場面が有名で、眠りと覚醒の間の曖昧な夢想状態の感覚が描写されたりと、過去、現在、未来の時間感覚や、現実と夢の境界、過去の記憶と未来の出来事の時系列が、時折入り乱れます。
映画では、難しい話の場面はなく、むしろ登場人物たちが感性や感情で動いているのがわかります。もちろん思春期の男女なので、その方が自然ではありますが。むしろ、原作は少しおませかもしれません。