栽培植物と農耕の起源 (岩波新書) [ 中尾佐助 ] / 中尾佐助 (1966年)



★目次
I 栽培植物とは何か
II 根栽農耕文化 バナナ・イモ
III 照葉樹林文化 クズ・チャ
IV サバンナ農耕文化 雑穀・マメ
V イネのはじまり 10億の食糧
VI 地中海農耕文化 ムギ・エンドウ
VII 新大陸の農耕文化 ジャガイモ・トーモロコシ


★文化という語は、英語でculture、ドイツ語ではKultur。すなわち、地を耕して作物を育てることが文化の原義です。人類は古来より食べる物を生み出すことに多大な労力を費やしてきました。農具や農作技術の一つずつに起源があり、また伝播があり、発達や変遷があります。


 第5章「イネのはじまり」では、著者はアジア原産のイネ(Oryza sativa)の原産地の起源、そしてイネ食用化の起源と直接結びつくのはインドであると述べています。インドでは食用されている湿地の野生雑穀が多くあります。この中から選抜され栽培化されたものがイネであると考えられます。


 インドから台湾にわたる地帯に、形態が非常に栽培イネに類似した、一年生の野生型のイネ(Oryza fatua)が存在しており、この種から栽培イネを作り上げた可能性が高いと考えられています。アジア系のイネは、アウス群とアマン群に二大区分することができ、この二つは栽培時期に大きな違いがあり、前者は感温性で早生、円粒、有芒、後者は感光性で晩生、長粒、無芒です。日本のイネ(ジャポニカ)はアウス群に属します。イネには水田栽培という特殊性があり、それは平野水田の形態をとりました。イネの品種が陸上で栽培され、オカボとなって品種群を作るのは、イネが東方へ伝播して、アッサム以東の山地にかかってからとされています。


 東南アジアのイネ作農業は、山棲みでオカボを栽培し、焼畑から棚田水田へと進展した一系統が混栽農耕文化の土台の上に生長し、その後、一方の極としてスワンプ・フォレストの開拓力で示される平地水田農業の展開がおこり、国家形成威力を示したという、二段階のイネ作農業の発展がありました。この二段階の進行度は地域によって異なっており、特に大陸部より隔離のある島々で相互に比較できます。日本では、山間に山棲みの農耕民がいたことは明らかで、焼畑農業が現在までごくわずかに残存しているものの、日本の古代国家は近畿の平野や盆地で、平野水田農業の生産力の上に成立しています。日本の古名”葦原の中つ国”という言葉からも、東南アジアにおける国家形成力が平野水田農業の段階ではじめて起こったこととよく一致していると指摘されています。


 イネは生産性、食味の良さのため、他の栽培作物よりも好まれる傾向がありますが、極端なイネ単作は自然災害に対して農業経営を弱体化させ、また農民の食生活における栄養バランスを不良化させる要因となると危惧されています。また、本書が発行された時代(60年代)には、アジア、アフリカの中進、後進国では、農業が産業社会の中に安定した要素として編成されるためには、第二次革命から第四次革命への飛躍的な発展が必要であると述べられています。