神社の系譜 -なぜそこにあるのか / 宮元健次 (2006年)

神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)


★目次
まえがき
第一章 怨霊の神々
 神田神社(東京)――伝説の絶えない場所
 上・下御霊神社(京都)――天皇にふりかかった怪異
 北野天満宮(京都)――行きはよいよい帰りはこわい
第二章 王権の神々
 大神神社(奈良)――巨大な正三角形
 吉備津神社(岡山)――鬼退治伝説の遺構位置
 住吉大社(大阪)――「禊ぎ」の発端
 熊野本宮大社(和歌山)――神仏習合の聖地
 熱田神宮(愛知)――草薙剣にまつわる神々
第三章 大和朝廷東西線
 鹿島神宮(茨城)――「日立ち」と大和朝廷成立
 出雲大社(島根)――朝鮮との深い関係
 伊勢神宮(三重)――大和朝廷が着目した聖地
 日吉大社(滋賀)――北斗七星思想
第四章 氏族の守護神
 春日大社(奈良)――交通安全の神
 厳島神社(広島)――神社建築にない配置
 京都の古社群――秦氏一族との関連
 鶴岡八幡宮(鎌倉)――異なる方位
第五章 人を神として祀った社
 日光東照宮(栃木)――奇妙な遺言
 豊国神社(大阪)――神への再生
 明治神宮(東京)――現代に生きる軸線
 靖国神社(東京)――巧妙な配置
あとがき


★このブログのタイトルは、「The Sun Also Rises(日はまた昇る)」ですが、ヘミングウェイの小説からインスピレーションを受けたつもりはまったくなく、ただ、毎朝日が昇るがごとく、日々の記録を自身の覚書として淡々と書くことができればと思ってつけたのが始まりです。日が東から昇り、西に沈むという現象は、当たり前のようで、ヒトが地球上に誕生するはるか前から繰り返されてきたことで、もちろん、人間の文化に多大な影響を与えてきたことは、日々の暮らしから、また世界中のどの文化からもうかがうことができます。太陽は、砂漠を行き交う民族にとっては恐ろしいものだったかもしれませんが、日本人にとっては「お天道様」と親しみをこめて呼ばれるように、崇拝の対象であり、神として崇められてきました。


古代人が太陽の動きを、神の宿る「神社」の配置に応用したのがいわゆる「自然暦」です。本書では、この自然暦という視点を取り入れ、新たな切り口から神々の系譜について考えることを目的としています。


もともと歴史や宗教に興味があるのと、気分転換に歩くという行為が相まって、最近では寺社を巡ることが趣味の一つになってきた僕ですが、次第に、色んな角度から見る様になってきて、この寺の宗派は何か、誰によって建立されたか、どんな仏像があるか、この神社ではどんな神様が祀ってあるかなどに興味を持つようになってきました。その中でも建物がどの方角に向いているか、というのも大事な視点に感じられるようになりました。


東京でも京都でも大阪でも、様々な建物が乱立しているように見えるのですが、そういうノイズを一度取り払って、神社、寺院、城、山、街道、堀だけを、かつての都市上にプロットしてみると、実は綺麗な図形が描かれることに気がつきます。本書で紹介されている日本各地の神社を中心に描かれた自然暦をみると、なるほどなぁと感動するばかりです。


例えば、大阪の有名な住吉大社が禊ぎを重視する理由として、かつて地形的に浜辺に位置しており、神功皇后が海水で禊ぎを行った場所であった可能性が高いことが述べられています。自然暦としては、生駒山春日山仁徳天皇陵龍王山、明石海峡法隆寺東西線春分秋分の日没・日の出)、淡路住吉神社葛城山、神戸元住吉神社住吉大社二上山四天王寺耳成山夏至の日没・冬至の日の出)、葛城山耳成山夏至の日没、冬至の日の出)となっており、天皇の陵墓が東西に並び、山と神社が日の出ラインに並んでいることがわかります。


どの節を読んでも勉強になることばかりですが、その中でも個人的に驚いたことは、徳川家康の宗教的な知見に基づいた都市計画の巧妙さです。前の神を上手に葬り、自らを神として再生させるように寺社を配置していることが伺えるのです。日吉大社(西)−大樹寺岡崎城久能山東照宮−富士山−江戸城(東)−日光東照宮(北)の東西線は、神への再生を意図していると考えられています。
この神格化の東西線は、前の神、秀吉の計画を鑑みたとも言われています。秀吉が徹底的に保護した浄土真宗本願寺の配置、すなわち、西本願寺(西)−豊国神社本殿−豊国神社本殿−豊国廟(阿弥陀ヶ峰)(東)の東西線は、秀吉を神格化する直線として意図されています。この直線を家康は、豊国神社の「国家安康」の鐘銘事件後、智積院の建立と東本願寺の独立化により分断をしました。すなわち、秀吉信仰を根絶やしを行ったのです。


日本各地の神社のほとんどに共通してみられる自然暦は、決して特殊なしくみではないと言われます。この自然暦は神社の起源を探る有力な糸口になるかもしれません。