老師と少年 / 南 直哉 (2006年)

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★「仏門に入る」といえば、俗世間との縁を断ち、一人で山に篭り修行し、最後には悟りを開き、超越的な存在になるといったプロセスを想像してしまう場合があります。しかし、よくよく仏教の教えを聴いてみると、本質的には、一人の人間が特異的な孤高の存在になることを教義としているようには決して思えません。むしろ、「誰が」とか、「何が」、あるいは、「私が」、「自分が」といった主体、あるいは固有性が限りなく薄められていくように感じられます。さらには、「生きる」ということが、他者との関係性の中で成り立ち、「生」を受け入れる「器」は、他者との関係の中で磨き作り上げられていくものなのかとも思えてきます。