第4回環境倫理談話会

に参加しました。


タブーが生命観や環境に与えた影響について紹介がなされ、議論をしました。


身近なところでタブーのようなものがあるかと質問がありました。自分が思いつくところとしては、


天皇さんのご容態が良くない場合やご逝去された場合は、祭りが自粛される。
・身内に不幸があった場合は、祭りに参加しないほうがよい。また神社の鳥居もくぐらないほうがよい。
・お葬式、お通夜から帰ってきて、家に上がる前に塩を軽く振ったほうがよい。
・夜に爪を切らないほうがよい。
・北と西の方角を頭にして寝ないほうがよい。
・北東は鬼門、南西は裏鬼門と言われ、縁起が良くない。
ヒガンバナは、家に持ち込まないほうがよい。


などなど、ぱっと浮かぶだけでもこれだけありました。
基本的には、死を穢れとしてとらえていることが根底にありそうです。


タブー、宗教の教義、道徳規律、法律など、世の中には様々な決まりごとがあります。それぞれの社会は独自の規範を形成し、集団内の調和と全体の協調に取り組んできました。


今回の所感としては、タブーというのは、そもそもは、生命の危険にさらされるもの、すなわち、死の恐怖への精神的な防衛反応によって生じたのではないかと思いました。それが徐々に形骸化してしまって、意味はわからないけど、形式だけが残っているものも多々あります。科学が発展した現代では、多くのタブーが迷信と呼ばれてしまうのも事実でしょう。一方で、人間や動物の命に対する価値は高まっている傾向はあると思います。


ここで思うのが、何が許されて、何が許されないのか、あるいは何をすべきで、何がすべきでないのかということは、次の問題になってくるのではということです。それよりも重要な問題として、やはり、個人のレベルで、よりよいあり方、よりよい生き方、よりよい社会との関わり方、よりよい社会のあり方というものを、まず考えたり、イメージしたりするものではないだろうかと思いました。そして、集団においては、いろいろな意見を持った人が話し合って、何かが取り決められていくのだと思いました。


一方で、人間というものは、社会性の動物であるので、他者、時に身近な人からの影響は大きいと思います。よりよい態度を示せる人に対しては、尊敬と共感によって、その行動を模倣したりすることもあると思います。


それでは、よりよい態度や行動とはなにか。それは、知性に溢れ、かつ、生物的な本能に回帰していくような人の行為のことではないだろうかと思いました。