日本の庭園 / 進士五十八 (2005年)

日本の庭園 - 造景の技術とこころ (中公新書(1810))


★目次
プロローグ ホモ・ガーデエンシス(生き物とのふれあい「アメニティ・デザイン」
生きられる空間「ふるさとは守護霊」 ほか)
第1章 神仏の庭と人間のにわ
第2章 日本庭園の技術とこころ
第3章 日本の名園三十六景
エピローグ ガーデニングからファーミングへ(ガーデンからランドスケープ
これからは「ガーデニングからファーミングへ」)


★日本文化の象徴として日本庭園を認める態度は、七割が森林という日本の国土、美しい日本の山河への畏敬の念と、深い味わいを見せる自然石、生命感あふれる樹木、清らかな水に感謝する素直な心情に由来すると言われます。こうした態度は、作庭のみならず、これからのさまざまな土地利用や都市開発に対しても忘れてはならないはずであると著者は述べています。


日本庭園を単純化して時代と形式で分類がなされています。各時代のキャッチフレーズと例(庭園)だけを抜粋します。


古代・・・池泉舟遊式。
飛鳥・奈良時代・・・稲を育てた池に島を作って海景への憧れを充たした。
例えば、奈良の宮跡庭園


平安時代・・・京の暑さを和らげる水の庭。寝殿造で極楽浄土を地上に再現。
例えば、嵯峨野院跡、神泉苑平等院鳳凰堂


鎌倉・南北朝時代・・・「浄土」ベースに石立僧が活躍。「十景十境」完成した夢窓国師
例えば、永保寺、恵林寺(山梨)、臨川寺(京都)、西芳寺(京都)、天龍寺(京都)。


中世・・・座観式、定視式、観賞式。
室町時代・・・多因的な禅の庭。枯山水に写景・写意・象徴化。
室町時代は、禅宗文化の黄金期でした。五山に列せられた南禅寺天龍寺相国寺建仁寺東福寺をはじめとして京都中の禅宗寺院に庭園が作られました。しかし、著者は、禅宗寺院の枯山水に特徴のある庭園の造形を、禅の思想によってのみ説明するには無理があると主張しています。その理由として、曹洞宗系寺院には禅の庭がみられず、臨済系のみに存在すること。狭小敷地で水利困難な立地、画趣味の横溢、盆石としてでも鑑賞できる硬質の庭石の存在、そして塔頭開基が大名という政治性、座敷と庭の視覚的関係性など多様な要因が、枯山水庭園を生み出したものと考えているためです。禅の思想という一因によるものではなく多因的結果だったと考えるほうが枯山水を理解するのに有意義だと述べています。また枯山水にも、書道や華道と同じく、表現法の段階が認められます。
例えば、本物そっくりにリアルに表現する「写景」(例/大徳寺塔頭の大仙院庭園(古岳宗亘作))、要素を少なくし、表現もやや抽象的に縮景する「写意」(例/妙心寺塔頭の退蔵院(狩野元信の庭))、池、流れなどの外郭形状は消え、抽象化・象徴的に表現する「象徴化」(例/龍安寺石庭(通称、虎ノ子渡し))。


中世・・・茶庭式、露地式。
安土・桃山時代・・・巨石にソテツの豪快な城郭院庭園と、茶禅一味で内面に向かう露地。
例えば、二条城庭園、醍醐寺三法院、駿府城名古屋城大坂城、仙洞女院御所、南禅寺金地院、江戸城山里丸、品川東海寺、水口の大池寺。


近世・・・池泉回遊式。
江戸時代・・・軍事・社交・殖産など多機能で、各時代意匠を総合化したオープンスペース。
例えば、小石川後楽園、旧浜離宮庭園六義園清澄庭園


近代・・・自然主義、自然風景式。
明治・大正時代・・・やさしいアンデュケーション、芝生と刈込み、腑石、流の近代自然主義庭園。
例えば、赤坂離宮新宿御苑、前田侯爵邸、綱町三井邸、古河邸、茅町岩崎邸、品川御殿山の三菱開東閣、無鄰菴。


昭和時代・・・「雑木の庭」の自然とやさしさ基調に、多様化、多極化。
例えば、朱雀の庭(京都梅小路)、大徳寺瑞峯院と東福寺方丈庭園、松尾大社の庭(重森三玲作)


第3章では、日本の庭園三十六景が紹介されています。京都では、平等院鳳凰堂西芳寺天龍寺鹿苑寺慈照寺大徳寺大仙院、清水寺成就院、二条城二の丸庭園、大徳寺本坊方丈庭園、無鄰菴、大徳寺瑞峯院が挙げられています。


巻末で述べられている、ガーデニングからファーミング(農作業・農体験)へという部分には非常に興味を持ちました。個人的にも、ファーミング(菜園)を内部化した新しい生活のスタイルは、今後はさらに庶民の間にも広まってゆくように思います。