Books: ジョン・レノンが愛した森 夏目漱石が癒された森/上原 巌(2010年)

ジョン・レノンが愛した森 夏目漱石が癒された森 著名人の森林保養


★目次
第1章  夏目漱石スコットランド
第2章  ジョン・レノンと軽井沢 
第3章  堀辰雄と軽井沢
第4章  神谷美恵子と軽井沢
第5章  津村信夫と戸隠・善光寺
第6章  ベートーベンとバーデン
第7章  A.A.ミルンとアッシュダウン・フォレスト
第8章 ワーズワース湖水地方が愛したイギリス・湖水地方の自然
第9章  その他の事例
西田幾多郎、リチャード・P・ファインマンアンドリュー・ワイルズポール・ディラック、ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクニールス・ボーア、ポール・エルデシュアリストテレスジークムント・フロイト、ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン、アーヴィン・フォン・ベルツ、フレデリック・ショパン、ジェイムズ・ポール・マッカートニージョン・デューイ南方熊楠山本五十六椋鳩十坂本龍馬いわさきちひろ松尾芭蕉 
物語の世界:ヨハンナ・スピリ作『アルプスの少女ハイジ』、南木佳士作『阿弥陀堂だより
第10章  森林散策の効用


★本書は、森林の癒しの効果に注目して書かれたものです。音楽家、作家、文化人、科学者も、森があったから、その苦悩を乗り越えられたのかもしれません。


個人的には、森、癒し、夏目漱石ジョン・レノン神谷美恵子、ベートーベンあたりのキーワードを見ただけで、即買でした。


夏目漱石は、33歳から2年3ヶ月、文部省派遣で英国留学に出かけました。そして、留学2年目に、滞在先のロンドンで「神経衰弱」の状況に陥ったことはよく知られています。この状態は、現在で言えば、うつ状態、心身の疲弊、慢性疲労であったようです。この時に、漱石は、知人の日本人を介してスコットランドの高原地帯にある保養地ピトロッホリーで過ごす機会を得ることになりました。もともと漱石は、旺盛な好奇心旺盛から、また気分転換のために散歩を行っていたようで、ピトロッホリーの環境は性に合っていたと言われます。スコットランドの自然のリズムに調和しながら暮らしている人々の姿や、当地の歴史風土、またロンドンの慌しい生活とは対照的に、確かな自然の安らぎ感が漱石に与えられていたのだろうと著者は述べています。この滞在経験は、のちに『草枕』(1906年発表)にモチーフにもなったとも言われます。著者は、漱石の保養から考えられることとして、気分転換や転地療養を目的として自然・森林環境での保養が行われ、その結果、精神面の保養効果やその安定化が得られたことがうかがえるとし、保養が、その後のその人の自然観にも影響を与え、森林での保養にはカウンセリング的な効果・作用があったことを挙げています。


ジョン・レノンが、幼少期に肉親の離別や別離を何度も経験したことはよく知られています。1969年にオノ・ヨーコさんと結婚し、その3ヵ月後にビートルズが解散します。オノ・ヨーコさんが日本人であったせいか、ジョン・レノンはプレイベートで何度も日本を訪れています。1976年から1979年まで4年連続で毎年の夏、息子のショーンと三人で軽井沢に滞在しました。軽井沢には小野家の別荘があったそうです。もともと日本人には避暑地で過ごすという習慣はなかったらしく、明治時代に入ってからスコットランドの宣教師アレキサンダー・ショーが軽井沢の地をいたく気に入り、別荘を建てたのが始まりだとされます。ジョン・レノンがこの地の惹きつけられた理由として、著者は、軽井沢の森が故郷のリヴァプールと雰囲気が似ていたこと、そして、著名人が数多く滞在していたことによりプライバシーの保護が大切にされたいたことも挙げています。


神谷美恵子さんは、21歳のとき、結核を発病し、両親の別荘で単独療法を約2年間行いました。療養生活の間、彼女はほとんどの時間一人で孤独な時間を過ごしたそうです。病気が完治してからも、結婚前や新婚旅行など軽井沢を度々訪れました。神谷さんは、代表作『生きがいについて』の中で、自然における心理的な保養効果について、このように書き残しています。
「自然こそひとを生み出した母胎であり、いついかなる時でも傷ついたひとを迎え、慰め、癒すものであった。それをいわば本能的に知っているからこそ、昔から悩むひと、孤独なひと、はじき出されたひとはみな自然のふところにかえって行った。聖賢たちも人生について悩んだとき、皆自然のなかにひとり退いたのであった」「少なくとも深い悩みのなかにあるひとは、どんな書物によるよりも、どんなひとのことばによるよりも、自然のなかにすなおに身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの力―それは彼の内にも外にもはたらいている―によって癒され、新しい力を恢復するのである」
と書き残しています。著者は、この神谷さんの事例を、自然における療養生活の経験を社会活動に昇華させ、かつ療法中の自然体験から自らの人生観、人間観を変容させていった尊いものであると述べています。


ベートーベンは、20代後半から聴覚障害に悩まされるようになり、生涯にわたって、オーストリアドイツ国外の温泉地で療養しました。その中でも、ウィーン郊外の温泉保養地バーデンは代表的な保養地であったようです。ベートーベンは、聴覚障害による対人関係の煩わしさから逃れたいという気持ちも働いていたようです。彼の手記からは、神と森を讃える言葉の数々が見つかります。このようなベートーベンは、今風に言えば、自然環境の中に”引きこもった”状態ではありますが、意外にも自然観察も好んで行い、植物にも精通していようです。ベートーベンがよく散策していた場所は、「ベートーベンの道」として保存されています。バーデンは温泉地であり、日本の温泉街ともやや風情が似ており、観光客の年齢層も幅広いそうです。このように、保養地が根付くまでには、温泉、森林というハードの資源とともに、保養や民間・自然療法というソフトの資源の長年の積み重ねが必要であると著者は強調しています。


このように本書で取り上げられている有名人はいずれも順風満帆な人生を常に歩んでいたわけではありません。もちろん、著名人であるかどうかに関係なく、人はみんな時には心を病み、強い孤独感に苛まれ、焦燥感を抱えるものでしょう。場合によっては不治の病を抱えることになるかもしれません。森林とは、内なる自然と外なる自然の対話の場なのかもしれませんね。