国境の南、太陽の西 / 村上春樹(1995年)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)


★人間が子どもから十代の思春期を経て大人になっていくことは、外見的にも内面的にも劇的な変化に思えます。30代、40代になってから、子ども時代の自分を振り返ると、まるで別人のように思えることさえあります。ところが、「魂」のような部分がほとんど変化しない人も中にはいないのかもしれません。
この小説に出てくる、思春期の「僕(ハジメ)」の恋い焦がれた少女「島本さん」は、その「魂」のような部分がうまく成長しなかったように見て取れます。中年直前の「僕」は同様に歳を重ねたはずの「島本さん」に再会をするものの、「僕」は自分の中の「魂」の部分が当時からほとんど成長していないような気持ちになります。

でも結局のところ、僕はどこにもたどり着けなかったんだと思う。僕はどこまでいっても僕でしかなかった。僕が抱えていた欠落は、どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなった。どれだけまわりの風景が変化しても、人々の語りかける声の響きがどれだけ変化しても、僕はひとりの不完全な人間にしか過ぎなかった。僕の中にはどこまでも同じ致命的な欠落があって、その欠落は僕に激しい飢えと渇きをもたらしたんだ。