Study: Srimad Bhagavatam – day 581

「この男の子は、あなた方が困難を乗り越える時には手助けしてくれるでしょう。あなた方の財産としてこれ以上のものがありますか?むかし、この王国にも無政府状態がありました。」

スワミジは次のように説明しています。「あらゆる状況において、支配者または指導者は必要です。土地をしっかりと統治する人がいなければなりません。王のいなくなった国は、もはや王国とは呼べません。同様に、支配者のいない土地の住民は文明はもたらされません。

無政府状態が蔓延していた当時、市民は窃盗と武装強盗団が引き起こした大混乱のために苦しんでいました。善良な人々は邪悪な者の手に苦しみました。」

適切な統治者がいない場合、安全を保障する組織がありません。そのような無法の時代に、武装強盗団が繁栄します。困難は常に信心深い人の頭を打つとよく言われます。これは不思議ではありませんか?すでに負傷した手は、さらなる怪我を招きやすいことに気がつきます。あらゆる予防策にもかかわらず、私たちは何度も同じ傷を負いました。健康な手は、無傷のままです。同様に、他人を傷つけることを控える高貴な聖人は、悪党に拷問されます。

どんな集会でも、人は静かに座っている人を邪魔することなく嘲笑します。ひとりの沈黙は周りを苛立たせます。人々はその者が議論のいずれにも参加していないことに腹を立てます。どうにかして会話と談笑に参加させようとします。その者が周りと同じように動揺するのを見たいと思います。彼に言葉を吐かせ、笑わせようとし、彼を圧迫します。彼のことを嘲笑し、彼に石を投げつけます。聖人は、普通の人と交わらないために虐められます。

10人のグループで、1人だけ行動が違っている場合、そのひとりの状況は本当に嘆かわしいものです。他の9人のメンバーが楽しんでいる活動に参加しない限り、人々は彼を穏便に過ごさせる気はありません。そのひとりが他のメンバーの習慣に適応し、同様の味を楽しむようになるまで、彼に要求を続けます。他の9人が映画を見たり、嘘をついたり、他人を騙したり、うわさ話をしたりするのを楽しんでいる場合、10人目の仲間がすべての活動に参加することを期待しています。彼が拒否しようものなら、彼の人生を悲惨なものにします。最近、そのような事例が多く見られます。

義にかなった人々や高貴な人々に相応しい生活であるようには思えません。誠実さを守る人々が平穏に暮らせる時代ではありません。スピーチ、ライフスタイル、そしてあらゆる面で真実の誓いを厳守している人々が経験した困難について何が言えますか?彼らの心と思いは真実に満ちています。彼らの内外には真実が見られます。真実しか存在しません。いかなる状況においても、彼らは嘘をつきません。

デーヴァタ(神々)と悪魔の間の戦いは永遠に続いています。善の特性(サットヴァsattva)は、怠惰と無知の特性(タマスtamas)と戦っています。これはすべて私たちの体の中で起こります。私たちの体の中には、純質(サットヴァsattva)、激質(ラジャスrajas)、暗質(タマスtamas)の属性があります。これらは常に互いに争っています。善の特性(サットヴァsattva)は悪い行動/考えを非難し、無知の特性(タマスtamas)はそれらを称賛します。これは感性と理性の力(ブッディ)の間の戦いに似ています。時にはそれらは共謀して生命体に痛みを引き起こします。そこに捕らえられると、彼/彼女は閉じ込められます。

聖仙ガルガは次のように続けて言いました。「このような苦難の時代において、この男の子は、美徳を守り、人々に繁栄をもたらした。人々が悪党を打ち負かすのを手助けした。

 

Ya etasmin mahā-bhāgāḥ prītiṁ kurvanti mānavāḥ

Nārayo ’bhibhavanty etān viṣṇu-pakṣāni vāsurāḥ

 

悪魔は、主ヴィシュヌに寄り添い、主の加護を受けたデーヴァタを傷つけたり、打ち負かしたりすることはできません。 同様に、この少年への愛に満ち、常に彼のことを考えている幸運な人間は、内なる敵や外なる敵の手に負けることは決してありません。」

デーヴァタは困難を経験する可能性がありますが、主が永遠に彼らと共におられるので、彼らを打ち負かすことは決してできません。 同様に、クリシュナへの愛情に満ちた人は幸運です。 常にクリシュナのことを考え、彼への献身と愛(信愛)に満ちている彼/彼女は、悪魔に打ち負かされることはあり得ません。

Narayana Krishna