Study: Parikshit seeks to know the previous austerities of Yashoda and Nanda - Srimad Bhagavatam – day 597

パリクシット王、養母ヤショダと養父ナンダの過去の苦行についての解説を求める

パリクシット王は、「クリシュナは、子ども時のリーラ(超越的な遊戯)により、人々のマインド(心、意、思考)から不浄を吸い出したということか」と尋ねました。

「彼はみんなのマインドから罪、闇、汚れを吸い出した。人々を浄化する目的で、ゴクラの地に幼児クリシュナとして転生し、幻力を使ってリーラを露にした。」

「彼のリーラを目の当たりにした人々の中でも、養母ヤショダと養父ナンダは最重要の位置付けにある。この幸運に恵まれるために、彼らは過去にどのような苦行を引き受けたのか?主を自分の息子として育て、主の傍で生活するという、この幸運をいかにして手に入れられたのか?」パリクシットは尋ねました。

スワミジ:これが彼の子ども時代の活動の重要性であり、多くの時代が過ぎた後でも、詩人や帰依者によって賛美され(栄光を与えられ)ています。これまでに数多の解説が書かれています。主が顕現する方法は人によって異なり、詩人は自分が観た主の姿に基づいて、主の子ども時代の行動を独自に解釈します。そのような詩人は、マインドを完全に主に定めるため、個の存在を忘れます。なかでも聖仙(ヴェーダ)ヴィヤーサが最たる例です!しかし、彼以外にも、この主題について広範な解説を書いた無数の聖人や詩人がいます。マダバ派のブラフミンには、詳細な解説を書いた僧侶の長(ピータディパティ)がたくさんいます。 シャンカラ・バガヴァッド・パーダ(Govinda Bhagavatpada)もこのテーマについて解説を書いています。このパランパラ(師から弟子に伝えられるヴェーダの詳細)でも、他の多くの聖人が解説を書いています。

哲学者がアドヴァイタ(非二元論)、ドヴァイタ(二元論)、ヴィシシュタ・アドヴァイタ(条件付き非二元論)の流派のどれに属していたかどうかに関係なく、彼らは全員、至高の主の子ども時代の活動についての解説を書いています。後世の熱心な帰依者らは、彼らの著作物中で、彼の超越的な行為を限りなく称賛しました。

詩人や聖人の多くが彼を賛美したという理由だけで人気があったことを推定するのは誤りです。人々が彼を賛美するかどうかにかかわらず、彼の栄光に遜色はありません。それは永遠のものです。真実は、彼は誕生の瞬間からその神性を示したということです。

今日のカリユガには、主の神聖な物語を語る際に話者の多くは、主の姿を観るといいます。ここに座って講話(ナレーション)をしていると、主を観ることができます。私には、室内の照明、カメラマン、聴衆は見えません。私が観るのは主ご自身だけです!彼が転がり汚れる出来事を説明すると、私の目の前でそのシーンが展開します。全身が泥まみれた彼の姿が観えます。私はこの世界に私のマインドを戻すことができません。この世界に戻ってきても、すぐにあちら側の彼に会いに行きます。秒刻みに、かつ永遠に私は主と融合し続けます。そしてまたこの行為(カルマ)の地に戻って来ます。また主と融合しに行き、そしてこの地に戻ってきます。すべての言葉、すべての詩句、私が発する度に、この現象が起こります。

今日でも、多くの詩人、博識な学者、帰依者が彼の超越的な行為について話し合っています。私の母、ジャヤラクシュミ・マータは、主を賛美する多くの歌を書いています。彼女の詩句の一部が見つかっています。彼女の作品は、村の人々が日常的に話す言葉である平易なカンナダ語でした。彼女はクリシュナのために歌ったのでしょう。彼女にはクリシュナが観えたのでしょう!私が幼い頃、彼女は私を抱き抱え、クリシュナとともに彼女の詩句を歌いました。彼女が私の子供の頃に歌ったであろうそれらの詩句が私の記憶に残り、それらをあなた方全員が利用できるようにしました。彼女が息子に主の姿を観たかどうか誰が知り得ますか?彼女が主のダルシャン(謁見)をどの程度の範囲で得ていたか、誰が知り得ますか?彼女は神聖なヨーギニでした。私にとって、彼女はグル(教師)でした。彼女に私は平伏を捧げます。彼女は心の中で主の子ども時代の活動を目撃することができ、彼女は恍惚状態になっていたことでしょう。

心の中で彼の超越的な栄光を目撃する幸運を持った何百万人もの帰依者、教師、聖人、詩人に私たち全員で平伏を捧げましょう。彼ら全員はなんて幸運の持ち主なのでしょう。

パリクシット皇帝は続けました。「しかし、クリシュナの本当の両親であるデーヴァキーとヴァスデーヴァは、彼の子供時代の活動を目撃するこの機会を得ることはなかった。なぜ彼らはこのチャンスに恵まれなかったのか?理由は何か?この幻想は何であるのか?」

実の両親はカムサによって投獄されました。彼らがこっそり逃げるのを恐れて、カムサは彼らの足に頑丈な鉄の鎖をつなぎました。

デーヴァキとヴァスデーヴァは、主が彼らの息子として転生したことを知っていました。実際には、主はデーヴァキの子宮から産み出されたわけではありません。主がアヨニジャ(母親の子宮を必要とせずに出産する)であるとき、どのようにして主は彼女の子宮から生まれることができますか?デーヴァキが妊娠の全期間を終えたまさにその瞬間、彼は突然彼らの眼前に不思議で優雅な姿で現れました!幸運な両親であるデーヴァキとヴァスデーヴァは、彼の本来の姿を目撃しました。彼らは間違いなく幸運でした。彼は彼らから生まれたのではありませんが、彼は彼らから生まれたという感覚を彼らに引き起こしました。こうして、彼らにも幻想のベールを覆いました。何兆もの天人と神々が目に見えない姿で独房に降りてきて、そこに現れた主が本来の姿で現れたのを観ました。彼らは大いに主を賛美しました。

彼の誕生直後の出来事を繰り返し語った後でも、私たちは疲れません。私たちはその話を何度も聴くことに深い喜びを感じます。牢屋での主の誕生、牢屋の看守が深い眠りに誘われ、両親は鉄の鎖から解放され、牢屋の扉は勝手に開き、ヴァスデーヴァは幼い息子を抱き抱え、夜中にマチュラの通りへと足を踏み出しました。ヘビは自らを傘にして、豪雨から赤ん坊を守りました。主は彼の誕生の直後に、超越的で非日常的な出来事を示しました。

主の子ども時代の奇跡的な行為を目撃する幸運があったにもかかわらず、実母デーヴァキと実父ヴァスデーヴァはそれを見逃しました。養母ヤショダ、養父ナンダ、ゴクラの住民らがその幸運に恵まれました。ナンダとヤショダが彼の超越的な子ども時代の活動を見る機会に恵まれ、そして得た恩恵とは何でしょうか?ヴァスデーヴァとデーヴァキーが、彼らの息子として主を生む幸運を授けられましたが、彼の子ども時代の活動を観る機会を奪ったのは何でしたか?

マハリシ・シュカよ、詳しく聞かせてくれたまえ。全てを詳しく知りたい。」パリクシット王は懇願しました。

 

キーワード

シャンカラ・バガヴァッド・パーダ Shankara bhagavad-pāda
ゴヴィンダ・バガヴァトパダとも。アディ・シャンカラのグル(師)。アディ・シャンカラは、哲学者であり、その非二元論の思想がヴェーダンタの系譜に多大な影響を与えたことで有名。(Wikipedia

パランパラ parampara
「血統」を意味する。ヒンドゥ教文化において、師弟関係を指す言葉。弟子は、師に敬意、献身、従順を捧げる。詳細な知識や高度な知識を得る最良の方法であると考えられている。弟子は、最終的に、師が体現する知識を習得する。(Wikipedia

聖仙ヴィヤーサ Maharishi Vedavyasa 

聖者。ヴェーダマントラの編者であり、ブラーナ文献18書の著者とされる。(Wikipedia

マダバ派ブラフミン Madhava sect
マダヴァチャルヤによって提唱されたサッド・ヴィシュヌ学派と二元論に従う。(Wikipedia