Study: Yashoda obtains Self-realization - Srimad Bhagavatam – day 595

養母ヤシャダの真我実現

至高の主は我々の理解を超えていることについて話しました。「彼」は被創造物を維持し、この宇宙全体は彼からのみ生じます!言い換えれば、この世界は、彼自身、すなわち「純粋な意識」から生じます。他の源からはこの世界は生じえません。この世界を起源にすると思われる源でさえ、すべては至高の主の現れに他なりません。世界がブラフマンに由来すると誰かが宣言する場合、ブラフマンは至高の主のひとつの姿(化身)であることを理解してください。ブラフマンは至高の主から現れました。

聖仙シュカは続けました。「(クリシュナの養母)ヤショダは考えました。”私は、ゴクラの支配者であるナンダの妻です。知性の理解を超えている至高の主に平伏を捧げます。私はその至高の幻想に服従します。」

ヤショダはとても聡明な人でした。彼女は献身にあふれていました。無邪気なクリシュナを育てる彼女のその行いは、ある意味で、彼の本質を世界に引き出すために備わった彼女の遊戯(リーラ)でした。主が彼女を幻想で包み込んだと言う時、彼が私たちを幻想で包み込んだとと解釈すべきです。

聖仙シュカは続けました。「ヤショダはさらに考えました。 ”私はゴクラの支配者であるナンダの妻です。私はこの地の全財産の所有者です。クリシュナは私の息子です。牛は牛飼いの唯一の所有物です。牛飼い全員とその配偶者は私の仲間です。私の夫はナンダです。私はこの村の女王です。私は村の人々とつながっています。こうやって、「”私”と”私のもの”」の考えを通して、彼女は自身のマインド(心、意)を低い次元に落としていました。彼女は現実と非現実を区別しようとしていました。それからまた、彼女は考えました。

「私の誤った概念や概念の原因である主シュリ・ハリの幻想的なエネルギーは、私の唯一の避難場所です。彼のみが私に指示すべきです。彼だけが私のマインドを正し、私が至高の本質を理解するのを手伝ってくれるはずです。この原則を心から理解できるように祈ります。

ヤショダがそう祈った時、クリシュナは瞬時に真我実現を授けました!

至高の知識を授けられたヤショダは考え始めました。「この体は動作を生み出しているけれど、実は、私はその動作の主ではないわ。私はこの集落の女王だけれども、実は、私は女王ではないわ。ナンダは私の夫だけど、実は、彼は私の夫ではないわ。ゴクラの住人は私のものだけれど、実は、誰も私のものではないわ。」

ヤショダは至高の本質である”私は存在しない”を理解することができました。 「私らしさ」の意識(感情)が存在するときだけ、「私はゴクラに住んでいます。この人は「私の」夫です。 「私」はこの土地の女王です。これは「私の」家です。といった考えが存在するでしょう。 「自我の意識」の感情が完全に細断されたとき、そのような感情はどうやって沸き起こりますか?

人の心に「私らしさ」の感情が生じると、すべてが幻想に包まれます。この感情すべてをマインドから完全に捨てられるとき、幻想には包み込まれません。この経験を通して、シュリ・クリシュナは彼女を至高の真我実現を与えることにより祝福しました。

「母性愛に満ちた母親に落ち着きをもたらすために、慈悲の海であり、万人の心の中に住む至高の主ヴィシュヌは、再び彼女を幻想のベールで覆いました。幻想に包まれたヤショダは至高の本質を思い出せず、いつもの母親の気持ちで再び息子に接しました。」

もし至高の知識が彼女の心に刻み込まれたままなら、ヤショダはいかなる行動も控えたでしょう。彼女はじっとしていたでしょう。このため、彼女が「私は存在しない」と感じた真我実現の最終段階に到達しようとしていたとき、主は再び彼女を幻想で覆いました。

「いつもの状態に戻ったヤショダは、愛情を込めて息子を抱き上げ、膝の上に座らせました。彼女の心は再び息子への母親の愛で溢れていました。」

真我実現の一瞬の間、彼女は、この世界、彼女の息子、彼女の夫、彼女の村、他の存在も知覚することができませんでした。主は、再び、彼女がゴクラの牛飼いの少女(ゴーピカ)であり、クリシュナが彼女の息子であるという幻想、すなわち日常に彼女を引き戻しました。それにもかかわらず、この真我実現の経験の後、ヤショダは、通常とは違う精神状態にありました。

「彼女は、ヴェーダウパニシャッド、真我を確率させた人々、カルマ・ヨーギ、そして熱心な帰依者によって大いに栄光を与えられている主シュリ・ハリが、彼女の幼い息子であると確信を持ち始めました。」

彼はヴェーダンタによって栄光を与えられた主です。偉大な聖仙(マハートマー)は、彼の蓮華の御足の下に避難場所を探しています。彼は手の届かないところにいる至高の主です。ヤショダは次第にそのような至高の主が彼女の息子であると信じ始めました。

それまで、そんな感情は彼女の中には生じていませんでした。 長い間、彼女は息子を普通の人間の子どもだと考えていました。 しかし、この出来事以降、彼女の考え方にわずかな変化が見られました。 主は(ヴィシュヌの)幻想の力を撤回しましたが、彼女の体と知性に付けられたいくつかの痕跡は、まだ無傷で残っていました。 このため、彼が主であるという感覚が彼女の中に生じました。

ずっと息子を普通の人間の子供として扱っていたので、彼女は彼の安全を心配していました。 彼女は今では思います。「彼はシュリ・ハリです。彼は誰もが求めている人です。 これは間違いなく、真実です。 その主が私の息子です。」と。