Books: 空白を満たしなさい / 平野啓一郎(2015)

 

平野啓一郎さんの作品は、「日蝕」、「一月物語」以来です。全く作風が変わっています。ただ、分人主義についての論評を読んでいたので、それが物語という形で描かれるとこうなるのかという感動がありました。

平野啓一郎とはかなり大雑把に言うと、同年代ということになります。ですので、本作の時代感、社会風景、キーワードや二時的に描写される音楽など、リアルさはあります。平野さんは、ヘヴィメタル好きであることも有名で、アイアン・メイデンに関する寄稿も読んだことがあります。アイアンメイデンのライヴの良さは、曲が長いのにダレない。それは、曲の展開が、ラジオ体操のごとく、静→動→静→動→静と、休憩のパートが絶妙に配置されているからだと、指摘されていたように思います。

本書でも、主人公の土屋を理解してくれる工場長の権田さんは、ロック好きなところ、平野さんらしいと思いました。

佐伯という人、ドストエフスキーの「カラ兄」でいうところの、イワンでしょうか。スメルジャコフへの「そそのかし」、アリョーシャとの「プロとコントラ」談義を、一人で担っているような、嫌な人物ですが、人間の汚い本音を溜め込んだ人物なので、思わずドキッとしてしまいます。

ゴッホの自画像を、分人主義の考え方を説明する題材にしています。この辺りも小林秀雄さんのゴッホ論を読んだことあったので、すぐにピンときました。

分人という考え方は、もしかすれば仏教の縁起の考え方を基本にしているのかもしれませんが、「私」という人間は、接する相手の数だけ生じるというものです。恋人の前での「オレ、あるいはワタシ」、母親の前での「ボクやアタシ」、子どもの前での「パパ」や「ママ」、会社での「私」といったように、接する人に数だけ分母があり、その一人として、私が生じているとく考え方です。いわば相対的な「私」で、変化自在です。従来のいつでもどこでも誰の前でも変わらない、絶対的な「私」という考え方とは異なる捉え方です。

現代人の疲労とは、分人が一つしかない身体を奪い合うことで起こっているとされます。例え、リゾート地にバカンスに行っても、疲れは生じるのです。

消したいほどに、嫌な分人がいたとしたらどうしたらいいのでしょうか。作中では、主人公土屋徹生のバイト先の先輩は、消すのではなく、見守る、共存を薦めています。

同世代の人が描く小説ってこんなに、心にグサグサくるものなんだと、久しぶりに小説に夢中になってしましました。

徹底したリアリティとSF的なファンタジー、社会風刺と哲学理論、相反するものが同居しています。同居というよりも、何かが、こういったレイヤーをまとっているように思います。レイヤーはすぐに剥がせてその「何か」を観察することはできるのですが、そのレイヤーがあるからこそ、作品として調和が取れているように思います。

 

 
 
 
 
 
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