敗戦国である日本が戦時中に掲げた(利用した)宗教、「国家神道」。このせいで多くの日本人が世界から誤解されているようになったと思います。そして、神道なるものを語る際には、特に研究者は、この点について慎重に語らねばならない使命も課せられています。
三島由紀夫や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が深く入り込んでいったのは、イデオロギーによって利用される前の日本人の信仰心、いわゆる古神道でしょう。日本人が古より持っていた信仰心であり、それは奇しくも、キリスト教以前のヨーロッパに見られた信仰とかなり共通点があることがわかってきています。
ラフカディオ・ハーン(日本国籍取得後、小泉八雲と名乗る)は、アイルランド出身で、キリスト教圏に生まれながらも、その風習に馴染めず、教義には懐疑的で、一種のコンプレックスを抱きながら、世界を転々とした後、最終的には日本の島根県松江市に落ち着き、日本の文化の研究を進めました。幼い頃から霊感が強かったことも、神在の出雲国の風土にしっくりきたのかもしれません。
ハーンは、日本人が抱く「先祖崇拝」にとても共感しています。キリスト教では先祖崇拝の考え方はないとされ、ましてや亡くなった人を神として祀ったり、死後の祟りを恐れて供養・崇拝することは教義に反するところです。
その国の文化を知りたい場合その国の人の多くが信仰している「宗教」を理解するのも重要な鍵となります。ただ、その「宗教」の定義が、欧米で築き上げられたものである場合、議論が噛み合いません。
例えば、インドで信仰されているヒンドゥー教というものも、欧米で言われる「宗教」で捉えようとすると、唯一神は誰?創造主は?信者の戒律は?となりますが、何かそれは教科書的な問いの立て方であり、宗教の本質を捉えられていないように思います。要するに、「信仰心」というものは、表面的な議論では、なかなか捉えられないということでしょうか。ただし、それを表面的というのも、また議論の余地がありそうです。聖書があり、一貫して真理が描かれているキリスト教の聖書からすれば、世界中の土着の宗教には、「ないもの」「欠けたもの」が多すぎるのかもしれません。
ただ、その中に入ってしまうと、理屈はわからなくても、戒律や教義に忠実なことこそが信仰心の表れとも考えられるので。懐疑心は疎まれる場合があります。知性と霊性の両方を兼ね備えた信者が良さそうです。
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教では、神が大地を創造createし、人や動物・昆虫など全てのものを何らかの意図を持って設計したと聖典に記されています。生物のことを、英語でliving creaturesというのはそのためです。
一方、神道では、そういった記述はなく、あるいは文書自体が残っておらず、創造主というものも、原則設定されていません。この辺のところを当時の日本政府は、国家神道としてプロパガンダ的に編集していったのかもしれませんが。
ただし、民衆の間での感覚として、生き物はどこからともなく、generate(発生)させられるいうのがあります。0からの創出ではなく、1+1=2みたいに何かと何かが反応したり、混ざり合ったりする感覚です。和辻哲郎の風土論もそういった違いを論じていると思われますが、温暖湿潤で発酵食品の恩恵を受けて、地震や台風などにも頻繁に襲われる日本人の長年の間に身につけた感覚かもしれません。
一方、砂漠地帯で生まれたセム的一神教(キリスト教・ユダヤ教・イスラム教)では、その環境の影響で、あるかないか、何もないところに生き物が出現するというのは、神がご意志を持って新しく作り出したと考える方が辻褄が合うのかもしれません。人間は、One of themではなく、他の動植物とは違い、使命を持って生み出されていると考えることで、砂漠で土地が貧しい、厳しい環境に耐え抜いたのかもしれません。
以下、所感ですが、私が京都に住んでいた頃、菅原道真のエピソードを知った時、なぜかとても身震いするような感動を覚えました。亡くなった人を神として祀る。たとえ、道真公を左遷、没後、都に天災や疫病が流行り、関係貴族で原因不明の病で亡くなる人が続出したとしても、それを道真公を追い込んだことの報いだとして、その怨霊を治めるために、神として奉る。この辺のところ、私は日本の文化って面白いと思いました。
姫路平野(播州)での、神社の秋季例大祭での屋台文化は、賑やかな祭りです。東京の下町や大阪南部(泉州)にもみられる大衆的な祭りと同じ類かもしれません。ただ五感や感性で感じ取るという意味では賑やかな祭りも神道のひとつの顔であると言えます。
私がドイツのケルン大聖堂を初めて訪れた時、日本の建築にはない良さがあると感じました。かつて小泉八雲は神社の急な尖った屋根とゴシック建築の尖った屋根や出窓と類似性を感じとったと言います。
播州の太鼓屋台の総才端の天を突くような尖りは、神社の尖った屋根の再現でしょうか。昇総才のイガイガした感じも、「ゴシックだなぁ」と個人的には思っていました。屋台を差し上げるのは、「より高く、天の神様に届くように」という印象を受けます。ただ、ハーンは、神道や日本人の信仰心としては、土に還ることを重視していると考えていた様です。キリスト教では、神様は天から見ておられると考えるようで、神道では、確かに海の神・山の神といって、その土地に宿っている様にも思えます。灘のけんか祭りで、松原の露払い獅子屋台(てんてんつき)が、練り場を清めるために、土に塩を撒いたり、てんてんつきを何度も地面に叩きつけます。作業や祭りを行う、足場(土壌)の固さというのは、農耕を生業としてきた日本人にとっては、とても神経質になる部分かもしれません。足元がぐらつく様では、いい差し上げもできないというところでしょうか。
たぶん、灘のけんか祭りに参加している人に、熱心な神道の信者ですねって言ったとしても、議論が噛み合わないと思います。宗教、信者、信仰というものが、かなり外来の用語として周知されてしまっているし、そもそも、そういった感覚でやっていないと思います。
あるとしたら「屋台を落とせば八家の恥」というように代々親の世代から村人が担いできた村の屋台を上手に練る責任感と誇りがそうさせているでしょうか。家族の無病息災や先祖のことを願って、いい祭りにしたいという気持ちはかなり強いでしょう。
もちろん播州の例大祭にはいろんな約束事や暗黙のルールはあります。同じ神社の氏子の場合、練り子は違う村の屋台を担いだりはしません。家族に不幸があった場合も祭りへの参加は自粛します。女性は屋台は原則担ぎません。屋台の宮入りの順番も決まっています。観客で私服の人が突然屋台を担いだりも、基本的には見られません。
宗教という用語が、なかなか日本の風土に馴染まない理由は、敗戦国であることが原因したのもあると思いますが、何かもっと深いところで、物事の捉え方が違っているのかも知れません。