Books: 修証義口語訳「死に向き合う私の心得」 / 田島毓堂(2019)

 

坐禅会に参加している寺院で、別の勉強会で「 修証義」の解説をなさっていると知り、資料だけいただきました。そこで使用されているテキストは、本書ではないかもしれませんが、原文は共通と思います。

「修証義」は、曹洞宗の開祖・道元著「正法眼蔵」から在家信徒への布教を念頭におき、重要な点を抜粋し、全5章31節にまとめたものです。特に第1章〜第3章は、人が亡くなった後のお葬式の流れを追っています。正しき道を行こうと決意したならば、まずは始めにとことんまで今までの行いを悔い改めなければなりません。

私が興味を持ったのは第4章です。

第二十四節

同事(どうじ)というは不違(ふい)なり、自(じ)にも不違なり、侘(た)にも不違なり、譬(たと)えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、侘をして自に同ぜしめて後に自をして侘に同ぜしむる道理あるべし、自侘は時に随うて無窮(むきゅう)なり、海の水を辞せざるは同時なり、是故(このゆえ)に能(よ)く水聚(みずあつま)りて海となるなり。

禅の視点-視点-

同事というのは、自分と人とが違わないことを言います。多くの河の水が集まって1つの海を形成するがごとく、他者と自分とのあいだに垣根を作ることなく1つの世界を形成することの重要性が説かれています。本来は全てが一つということです。しかし、我々は、世界が一つでない、自分と他者は別であると思い込んでしまっているということです。この辺り、インド哲学の梵我一如の考えと一致していると思いました。

 

第二十三節
利行(りぎょう)というは貴賎の衆生に於きて利益の善巧(ぜんぎょう)を廻らすなり、窮亀(きゅうき)を見、病雀(びょうじゃく)を見しとき、彼が報謝(ほうしゃ)を求めず、唯単(ただひと)えに利行に催おさるるなり、愚人(ぐにん)謂(おも)わくは利侘(りた)を先とせば自らが利 省(はぶ)かれぬべしと、爾(しか)には非ざるなり、利行は一法なり、普(あまね)く自侘(じた)を利するなり。

 

人を助け、人の利益になることをすれば、自分が損をすると考えてしまいがちです。しかし、ここで言われているのは、自分の力を人のために使ったとき、そのはたらきは自分という枠を超えて大きな広がりをみせるという教えです。