Books: 人は愛するに足り、真心は信じるに足るーアフガンとの約束 / 中村哲・澤地久枝(聞き手)(2021)

 

1984年に医療援助活動を開始してから2019年に凶弾に倒れるまで、戦乱と劣悪な自然環境に苦しむアフガンの地で、活動を続けた中村医師。澤地久枝さんによるインタビューにより、個人史背景とともに、自らの思いを語った肉声の記録です。

中村哲さんのインタビューを読んでまず思ったのが、現代に宮沢賢治が生きていたとしたら、こんな風に奉仕活動を目指したのかもしれないということです。全く個性の違う偉人を勝手に重ね合わせてしまうのは、いささか私の思慮が足りないかも知れませんが。

と言いますのも、どのトピックスでも、中村氏が少年期から昆虫採集が好きだったことと、人類にとって農業の必要性を強く感じていたことが話題に上がってくるからです。

意外だったのが、中村哲氏はヘヴィースモーカーであったことです。その反面、アフガンでは隣り合わせに生活・活動していたタリバンに属する人々は、実はピューリタン的なところがあり、タバコ、酒、西洋風の音楽、お祈りも一日5回決まった時間に、例え仕事中であっても手を止めてしなければならないなど、かなりストイックな集団だったことを語っておられます。

現代の日本人にとっては中村氏はストイックそのものに映るでしょうけど、アフガンの現地では中村氏はタリバンに比べると、イージーなスタイルの欧米化した外国人に映ったのかもしれません。

念のために書いておかなければならないのは、決して、中村氏の命を奪ったのが、タリバンの一味であったという確固たる根拠があるわけではないです。

原理主義的な人やそういった集団の中に入ったり、隣り合わせになると、とても自分がイージー(いい加減な人間)に感じることがあります。私も、インドを旅行した際によく感じていました。自分のアイデンティティが揺らぐ瞬間です。逆に言えば、タリバンに属する人々も、アイデンティティの危機にされされた人たちなのかも知れません。アフガンの地でも、欧米化・現代化していく人々たち、一方で、伝統的な生活スタイルを維持し、宗教の原理主義的な(プリミティヴな)ところへ回帰していこうする人々の両極端はいたはずです。どちらもアイデンティティの問題に直面していると言えます。

中村氏の聡明さを表しているのが、そういったタリバンの実際の姿をよく観察し、よく分析し、本来の姿がよく見えていたということです。そこには、欧米の政治的なバイアスで見ているのではなく、一個人として、医師として、現地では一般市民が難民となり、飢餓で苦しんでいることを肌身に感じていたと語ります。

中村哲氏は、少年期に、地元の教会の牧師さんの薫陶を受けクリスチャンになっています。しかし、現地の人々の信仰や価値観の在り方を尊重して活動を続けていました。なに教徒であろうと、決して宗教が異なるからと言って人を排斥することはなく、例えるなら同じ山から流れてくる異なる水源をたどってゆくと頂上に至るようなものだと考えていたと語ります。

農業については、人類がどんなに変化してもなくならないのは、農業という営みであると考えており、アフガニスタンは近代化から取り残された国で、自分たちの伝統を頑なに守る民族性がある。そういうところでは、かえって鮮明に水のありがたさ、自然と人間の共生の仕方が、言葉もいらないぐらい、皆、自然に生きていると語っています。人間の力ではどうにもならないことばかりの土地、人々は「神様のご意思ですから」と口にする。それは諦めではなく、謙虚な気持ちから滲み出てくるものだと言います。