マルティン・ブーバー「我からの遠ざかり」

マルティーン・ブーバーはオーストリア出身のユダヤ教宗教哲学者・社会学研究者。
ブーバーは「我」それ自体というものがありえないというところから出発した。「我」がないのなら、「我」という存在もありえないというのである。
では、何があるのかといえば、存在するのは根元語の「我−汝」という根本的な関係をあらわす言語概念性だけがある。これが交互性(Wecheselseitgkeit)あるいは相互性(Gegenseitigkeit)とよばれるものである。
われわれは何かを経験しつつあるとき、世界には関与していないと知るべきである。経験とはわれわれの内部におこることであって、われわれと世界の「あいだ」におきることとはなっていないからである。
では、どのようにすれば「あいだ」に入りこみ、世界と向きあうことができるのか。まずは、私という我の中に汝を見出すべきなのだ。そうすれば、私の我は汝のさまざまなモノやコトによって成立している光景に出会うにちがいない。そうだとすれば、経験とは実は「我からの遠ざかり」であって、それが了解できれば、次には私の我が「汝からの遠ざかり」であろうとしたときの「あいだ」に逢着できるはずなのである。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0588.htmlより抜粋(2005.12.27)

我と汝・対話 (岩波文庫 青 655-1)

我と汝・対話 (岩波文庫 青 655-1)