京都の南部(京都市伏見区)に広い水田地帯があると聞いたので、研究熱心な(??)僕は、ちょこちょこと足を運んでいたりします。
昔、このあたりは巨椋池(おぐらいけ)と呼ばれる広大な湿地帯だったそうです。昭和初期の干拓事業によって農地に姿を変えました。干拓前の巨椋池は周囲約16km、水域面積約800haであり、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖であったようです。
かつて、天下統一を果たした豊臣秀吉(別名、”普請狂”)は、晩年伏見城を築城し伏見に居を移し、 それに伴い宇治川(巨椋池)に堤防を築き、河川改修を行いました。伏見城の南西に指月城、そして宇治川に観月橋(豊後橋)を渡し、対岸に向島城を築きました。伏見城と共に造られた向島城は、山里曲輪という庭園施設として造られたようです。伏見(=不死身)の地は、伏見城と宇治川をはさんで観月橋で結ばれているところから、秀吉は、此岸側の伏見に対して、彼岸側の向島城を「あの世」と見立てていたのではないかと指摘する研究者もいるようです。
自然環境も豊かで、干拓地や宇治川河川敷は渡り鳥の飛来地となっているようです。広大なヨシ(アシ)群落が広がっています。京都御所の屋根や簾として用いられ、また周辺地域特産の茶(宇治茶)で碾茶や玉露を作るための覆いとして用いられてきたそうです。一時期はこれを利用して焼酎を作ることも考えられていたそうですが、現在はどうなんでしょうか。
かのてふてふも、秋には西方浄土へ向かうのでしょうか。今のところ、1個体もみあたりませんが!
向島の宇治川沿岸より
向こうに見えるのが近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期)と伏見城。
巨椋池インターチェンジ
水田地帯が広がっています。5月の代かき前の様子。
6月のイネ移植後の様子。
(http://raku.city.kyoto.jp/okoshiyasu/gyouseiku/より)