人は死ぬから生きられる−脳科学者と禅僧の問答/茂木健一郎・南直哉(2009年)

人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書)


★目次
星の友情(茂木健一郎
1 無記の智慧
2 脳の快楽、仏教の苦
3 人生は「無常」である
悦楽する知(南直哉)


南直哉さんのブログ茂木健一郎さんとの対話をまとめた書籍が出ると知って早速注文・購入をしました。過去3度の対談が掲載されています。ここ数年で茂木健一郎さんは何人もの各界の著名人と対面されており、そこで行われた会話の内容についてはいくつかの書籍を通じて知ることができます。自分もその一部を読んだことがあります。しかし、今回のように、こんなにもその人の内面が吐露されているのを読むのは初めてで、少しイメージが変わったくらいです。仏の前に坐るとはこのような様子をいうのでしょうか。


「人は死ぬから生きられる」
南さんは、生のリアリティよりも死のリアリティの方がはるかに高いと述べています。生きることのリアリティが低いから、漠然と生きるということがどうしてもできない。何か行動したり考えたりしていることに関して、常に疑問があり、だからそれを解除した場所が、坐禅であると。


「人間の自己の存在というのは投機的である」
本来的に人間は、他人を経由しなければ自分を構成できないとも考えられています。バブルに何度も騙されるのも、化粧するのも、権力あるいは美を決定的に他人に依存しているからとも理解が可能です。


「生(世界)を引き受ける」
生きることよりも、生きることを引き受けることが決定的に大事。イデオロギーとか宗教が生を空虚にする場合がある。すなわち、人生を質入してしまう場合があると二人の会話の中で危惧されています。


人生はおそらく、楽しいことや嬉しいことよりも、辛くて悲しくて苦しいことの方が多いのでしょう。だれでもそれぞれに「苦」はあるのだろうと思います。また、生あるいは自己なんてうつろいやすいものというのも実感できます。しかし、それを自覚した上で、「生きることに賭けてみる」。その姿勢こそが、この二人の人生の先輩から学ぶことなのかもしれません。