アジア菜食紀行 / 森枝卓士(1998年)

アジア菜食紀行 (講談社現代新書)


★菜食に興味がある人にとっては非常に優れた本だと思います。特に最終章「それでは菜食主義とは何か」での解説は興味深いです。


著者は、本来雑食であるはずのヒトが、どうして食べていいもの/食べてはいけないもの(タブー)という線引きをしたのかについて考察しています。著者は、マーヴィン・ハリスのコスト・ベネフィット論よりもタブーは集団を強化する説に賛同しています。すなわち、文化人類学者の石毛直道が示唆した、「タブーの存在が結果としてタブーを共有する人々の集団を強化する役割を持っている」という考え方です。


性欲や食欲といった人間の根源的な欲求を禁止したり、コントロールしたりすることによって、代価が得られるという発想は宗教では一般的ですが、禁欲によってもたらされる何かを求めるか、享楽によってもたらされる何かを求めるかという人生観や倫理の問題なのかもしれません。


菜食主義は平和的かについては、考古学の研究によれば、富の集積を行う農耕時代には戦争の形跡があったり、未開社会で首狩りが行われていたりと、「菜食の農耕民は温厚で、肉食の狩猟民は攻撃的」という一般的な認識は歴史的にみると根拠に乏しいことが述べられています。


厳密な菜食主義は、いくつかの必須栄養素不足に陥る可能性が高いため、一概に健康とは言えず、動物肉を食べた方が効率よく栄養が摂取できるのも事実です。栄養に関しては、バランスの問題が大きいと思われます。牛乳、卵は食する菜食主義がベターなのかもしれません。


畜産業は、環境負荷が大きいという見方もあります。単純にいうと、牛の肉を10キロ増やすためには100キロの植物を餌として与える必要があります。しかし、著者はこれについては論理的矛盾があると指摘しています。地域や環境によっては植物を育てるよりも、漁業や放牧、畜産を行ったほうが効率がいい場合があるからです。ハンバーガーの肉がオーストラリアやアメリカで大量に効率的に生産され、低価格で先進国に輸出されるというのは、国際経済の問題であり、それにからんだ環境倫理の課題であると述べています。


2千数百万年前から500万から1億の人口がいたインドで、どうしてそれだけの人間を養えたかについては、菜食を中心とした食の体系が、優れて豊かなものだったからこそだと述べています。


肉には人間の味覚にとって普遍嗜好とも言える魅力があるのかもしれませんが、現在のような肉の供給システムを持続させるには環境への負荷が大きいのかもしれません。野菜を多く選び、肉や魚の登場回数、あるいは食べる量を極力控えるという方向は賢い選択かもしれません。