Study: 村上春樹の創作過程についての覚書 (4) 言葉・身体性・文体 / 山愛美

オウム真理教の信者へのインタビュー の体験(1998年に「underground2 約束された場所で」として出版されている)を踏まえ,「何にもよらずわかりやすい力強いロジックには警戒しなくてはなりません」(村上,1998, p.30)と訴えている。これらのことは,何も,学生運動オウム真理教の事件における言葉だけに当てはまることではない。今日,我々の周りには,インターネットをはじめ,さまざまなメディアを通して過剰なまでもの言葉が溢れているが, それらのいったいどれほどが,村上の言う「自分の身のうちからしっかりと絞り出された」言葉であろうか。ほとんどが否なのではないか。

 

河合隼雄との対談「村上春樹河合隼雄に会いにいく(1996年)の中で,村上は「...これまでにあるような,「あなたの言っていることはわかるわかる, じゃ,手をつなごう」というのではなくて,「井戸」を掘って掘って掘ってい くと,そこでまったくつながるはずのない壁を超えてつながる,というコミットメントのありように,ぼくは非常に惹かれた...」(p.70, 71)と発言してい るが,このような繫がり方の実感が,「そうだ,僕らはある意味では孤独で あるけれど,ある意味では孤独ではないのだ」という上述の気付きに繫がる のではないか。これは,人から「我々は孤独ではないよ」と言われたり, 頭で考えてそう思ったりするのとは違う,何か決定的な確信ではないか。 なぜそういうことが起こったのか,と問われても筋道だった説明は出来ず, ただそういうことが起こったとしかいいようのないこのような体験こそ, 人間を根本的に変えうる。

河合は,「それはもう呼応して当然...」と答えている。これは,心と体 が連動していることを,村上が身を以て体験した証となる発言であり,ここから,村上が書く時に,ただ頭を使って知的に書いているのではなく, いかに体も使って書いているかが読み取れる。

 

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