マルコムX―人権への闘い / 荒このみ(2009年)

マルコムX (岩波新書)


★目次
第1章 マルコム少年─家族の背景とガーヴィー主義
第2章 「ネイション・オブ・イスラム」の伝道師
第3章 言葉の人間・その演説
第4章 アフリカの鼓動を共有する
終章 マルコムXの遺産


★しばしばマルコムXと同時代の黒人指導者で、後にノーベル平和賞を授与されたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは対照的にとらえられます。その根本的な違いは、キングは政治的だが、マルコムXにその素質はなく、単純素朴に「黒人の誇り」の回復を願っていたことであろうと著者は分析します。


当時、黒人解放運動の主軸は統合主義(インティグレーション)と分離主義(セパレーション)の二派に分かれていました。マルコムXおよび「ネイション・オブ・イスラム」は、キングの公民権運動に反対し続けましたが、白人の価値観が支配的な社会体制の中へ、自分たちも受容されることを願う統合主義の運動は、かえって「アメリカの黒人」の誇りを否定することになると考えたからです。


マルコムXは、白人社会で抑圧される「アメリカの黒人」に、自分本来の姿に戻れ、「自然に」なれと訴えました。ある研究によれば、17世紀から19世紀にかけて西アフリカから新世界へ強制連行されたアフリカ人のうち、ムスリムは7、8%に過ぎず、おそらくそれ以外の多くは宗教アニミズム信仰であったのだろうと言われています。キリスト教徒の作家アレックス・ヘイリーは自身の祖先がムスリムだったと記載し、アメリカ社会における「イスラム・プレゼンス」は、潜在的には残っていることを示唆しました。


何よりもマルコムXの魅力はその言葉と演説にあると言われます。母方の白人の祖父母に育てられたオバマ大統領は十代の頃、自分の黒人としてのアイデンティティと存在理由を求めて、数名の黒人作家の作品を読み漁ったが、いずれも彼の心を満たしてくれなかったと語っています。その中でマルコムXの自伝のみが、何か違ったものを伝えてくれたといいます。マルコムXの『自伝』は、アメリカ社会の中で、「アメリカの黒人」の抱く自己嫌悪、社会への疑問、苦悶に真正面から対峙し、精神的な基盤を与えました。マルコムXの飾らない言葉の持つ直接的な力は、オバマ大統領の演説にも見られる要素でしょう。


マルコムXが陶酔した詩があります。それはイギリスの詩人ラドゥヤード・キプリングの「イフ(そうできたなら)」という詩です。その詩はマルコムが、アメリカの黒人が、人間性を取り戻すために、「しがみつく」強い意志を持つように鼓舞するかのような内容です。


マルコムXは神とは自分の魂で感応するものだと力説しました。このように個人が自分の魂に問いながら、神を求め、神を感応すること、探求するスタイルは、まるで19世紀の思想家で牧師だったラルフ・ウォルド・エマソンを彷彿させるものだと著者はいいます。エマソンの「自己信頼」とノン・コンフォーミティの思想は、マルコムXの自己の確立と「マンフレッド(男らしさ・人間らしさ)」の回復の主張につながります。キングでさえ、マルコムXの言葉を肯定し、「威厳」と「自分が何者かであること」という感覚を与えてくれたと述べました。


マルコムX公民権(統合政策)を求める人種差別撤廃運動が活発になっていたころ、自分たちが求めるのは人間の尊厳であり、公民権でなくて人権であると発言しました。公民権は「アメリカの黒人」の問題だが、人権は、地球市民の問題だという発想があったからです。このようなミクロな問題を、人権問題として世界の注視される普遍的な問題に発展させるというのは、彼の類希な発想力のたまものに違いありません。


マルコムXの遺産は大きく、後の社会に多大な影響を与えています。たとえば、歴史研究の重要性を強調した点がそうです。黒人の歴史など存在しない、黒人の文化・文学はどれも劣等だと、白人のみならず黒人までが信じ込んでいた時代に、マルコムXが「黒人の歴史」の重要性を唱え続けたことの意味は大きいといわれます。何らかの形で「ブラック・スタディーズ(黒人研究)」は、今では人文系学部のある大学でカリキュラムに含まれていないところはないそうです。


神学者アフリカン・アメリカンの研究者コーネル・ウエストは、マルコムXを黒人の「預言者」と呼びました。彼は奴隷制度のもとで表現を抑圧されていた黒人の怒りの「預言者」であると。


マルコムXは最後の年に、アフリカの取り込みを積極的に行いました。このようなアフリカとの連帯を求める動きは、地球市民としての視点を、現在のグローバルな世界情勢に生きるひとびとにもたらしてくれるのかもしれません。