マハトマ・ガンディー―現代への挑戦状 / 中島岳志(2008年)

私のこだわり人物伝 (2008年12月-2009年1月) (NHK知るを楽しむ (火))


★マハトマ・ガンディーは、西洋の帝国主義支配に「非暴力」「不服従」という新しい方法で対抗し、祖国インドを独立に導いた人物です。


とりわけ、政治の中に、「欲望の抑制」という宗教的規範の抑制を持ち込んだという点において偉大だといわれます。宗教的人格の確立とインドの政治的独立を結びつけて説きました。


ガンディーの「塩の行進」は注目すべき行動です。その意義は、民衆に「塩を自分たちの手で作る」ということにあったとも言われます。そして、イスラム教とヒンドゥー教の宗教的対立を超えて、「歩く」という行為を共有することにも意義があったようです。 また、ガンディーの「断食」「チャルカー(糸車を回す)」という、わかりやすい「行」もまた、植民支配の不条理さを民衆に訴えるための、非常にわかりやすい「象徴(シンボル)」となりました。


ガンディーは独立運動を推進するうえで、特定の宗教イコンやモチーフは、使いませんでした。それよりももっと高次なレベルで人びとを結び合わせる方法を模索しました。それが「メタ宗教」の発想です。個別的な対立を超えたところで普遍的な宗教的価値を共有しようと訴えたのです。


「非暴力」と「不服従」は、ガンディーの人間を語るときには欠かせないキーワードです。しばしば誤解されるようですが、「非暴力」とは、「暴力を使わないことがよい」といっているのではなく、「暴力を捨てる勇気を持つことが重要だ」という意味です。一方、不服従運動は、一般に「サティヤーグラハ運動」と呼ばれており、これは「サティヤー(真理)」と「アーグラハ(主張)」を掛け合わせた言葉で、「真理の主張」といった意味です。


当時のインドの社会の中にはその生涯となる対立や差別の問題がたくさんありました。例えば、カースト制度、資本家と労働者、男性と女性などです。分断された対立概念の上に「メタ(超)」なものを置いて解決しようというのが、ガンディーの手法の特徴です。


ガンディーが好きだった言葉に「ウォーク・アローン」があります。彼は人間の共同性と単独性の両方を重視したといわれます。ときには静かに神と向き合い、自問自答しながら歩まなければならないということでしょうか。


しかし、人々はみな、超禁欲的なガンディー主義に耐えられるのでしょうか。しかし、常に自己の欲望と向き合い、反省的に生きることは重要かもしれません。ガンディーを倫理の原液としてとらえ、自分を見つめなおすことで、現代のライフスタイルをどう見つめなおすかという問いに直結してくるかもしれません。


ガンディーが非暴力を訴えたその奥には、ヒンドゥーの伝統にもとづく「不殺生(アヒンサー)」という考え方があります。その根底には「命はすべてつながっている」という究極的な思想があります。ガンディーの解釈によれば、私が命を生きているのではなく、命が「私という現象」を生きているということです。すなわち、命というのは個人の持ち物ではなく、たまたまいま、私という姿をもって現れているだけだということであり、これは、近代的な自我の考えとは対極的なものです。


ガンディーの平和論とも言える、「差異を認めながら、同時に真理の同一性を求める」という考え方があります。バラバラなようでいて、じつは一つである。一つであるけれども、やはりバラバラでもあるという意味です。人類は、「ベタ」なレベルでの差異性を認めつつ、「メタ」なレベルでの同一性を希求することは可能でしょうか。


しかし、一方で、ガンディーは、ヒンドゥー教の「パティプラタ(妻が夫に尽くす美徳)」という伝統を肯定していました。これは、フェミニズム的な見地からすると、問題ありという見方をされるかもしれません。


「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ死んではいけないのか」という問いに対して、ガンディーなら、答えることができるだと著者はいいます。日本の社会では宗教が空洞化してしまっていることと無縁ではないといいます。宗教を信仰していると言うと、心の弱い人間だと決め付けられるのが現実ですが、宗教的なものの素晴らしさや意義というのは、もっと別のところにあると思う、と著者は述べています。


ガンディーは、西洋文明をすべて批判したわけではなく、人間は過信すべきではないと言いたかったように思えます。「私は本来の限界に従って、周囲に住んでいる人に奉仕できます」、「よいものはカタツムリのように進むのです」と語ったそうです。